ある生物学者の不可思議な心臓

ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命について考える。

狭い殻でも広い浜がいい。

南の島に来てから、すでにいくつかのビーチを巡った。全てのビーチではないが、そのいくつかでオカヤドカリを見つけた。いるところにはたくさんいて、10匹以上簡単に見つかった。手のひらに乗せると、すぐに頭を出してモソモソと動き出した。あるものは、勢い余って体全部を貝殻から出してしまい、なんだか恥ずかしそうに空の貝殻を探し回っていた。そうした姿は、とても可愛らしく面白く、ずっと見ていても飽きないほどだ。

 当然、家に持って帰って飼いたくなった。実際、オカヤドカリをペットとして飼う人は多いらしい。しかし、南の島では(おそらく日本全国で)天然記念物に指定されており、勝手に採集してはいけないらしい。指定された業者だけが採集を許可されており、ペットとして飼う場合には指定業者から買う必要がある。なんだかそれは馬鹿馬鹿しいので、飼うことは諦めて、ビーチで観察するだけにしておこう。

 オカヤドカリにとってもその方が断然いいに違いない。狭いケースに入れられて、濁った汚い水の中で過ごさなければいけないなんてまっぴらであろう。日中は日陰もなく、風通しも悪く、蒸し暑いだろう。餌もペットショップに売っているような添加物てんこ盛りの餌をずっと食わなくてはいけなくなる。すぐに病気になって死んでしまいそうだ。いや、いっそこんなところで一生過ごすなら、早く死ねた方がマシかもしれない。

 オカヤドカリが飼育される様子を想像したら、まるで自分の入院生活のようだった。狭い部屋で一日中過ごし、風通しも悪く、外の空気や自然の草木、土を触れる機会などは一切ない。空調で制御された室温は24時間変化がなく、四季や昼夜を感じることもできない。食事や水分は基本的に出されたものだけで、冷たい水や暑いお茶などを自由に飲むことはできない。効率的に栄養をとるために大量の添加物が付加された栄養ドリンクなどを飲まされ続ける。添加物のせいか、喉や舌がヒリヒリと痛み出し、不味さで食事が苦痛に感じてくる。プライバシーもなく、昼夜を問わず医師や看護師が出入りして様子を伺いに来る。やがて本来の病気以外の症状も出てきて、痛みや苦しみが増幅し、体は衰弱し、筋力が衰え、気力が失われていく。そして、いっそ死んでしまいたいとまで精神的に追い詰められてしまう。

 あー怖い。あんなに愛らしいオカヤドカリたちに危うく地獄を味あわせるところだったよ。人間も他の生物も、自然の中で生きるのが一番いいのだ。そんなわけだから、おいらは今後オカヤドカリに限らずどんな生き物も飼わないだろう。

甘くないブーム

南の島に来て困ったことが起きている。飲む点滴甘酒がほとんど売っていないのだ。売っていたとしても非常に高い。とても気楽に買える代物ではない。しかし、甘酒がなくてはおいらの胃腸はいつまた出血し出すかわからない。なんとしても飲み続けたい。

 おいらがこのブログで甘酒を絶賛したため、ではもちろんないが、今甘酒がブームらしい。そんなわけで全国的に甘酒不足である。ネット通販のアマゾンでもえらい高い値段でしか売られていない。甘損である。

 移住前の地域では甘酒は豊富に売られていた。家から比較的近いところに酒造会社があり、甘酒を作っていた。この会社は通販もやって、あっという間に人気になり、今では通販で買えなくなってしまった。4月の後半に販売を開始するそうだが、それも届くまで2ヶ月待ちだそうである。確かに、今まで何種類も飲んだがここのが一番美味しい。

 しかしそれ以外にも色々な甘酒が売られていた。特にその地元だけで展開しているローカルスーパーが甘酒に気合を入れていて、自社オリジナルの甘酒も作っていた。それがとても安くて720mlで約400円とお買い得だった。それ以外にも、甘損では2000円以上で売られている八海山の「麹だけでつくったあまざけ(800cc)」というのも、800円程度で普通に売っていたし、善光寺門前甘酒(350cc)も400円弱で売っていた。だいたい、どのメーカーのものにしろ、100cc=100円くらいの相場だった。

 今南の島では、900cc=1400円くらいで売られている。もっと高い時もある。南の島で唯一作られている黒甘酒というのがある。だがこれも高く720cc=900円くらいする。そのためまだ買ったことがないのだが、口コミ評価ではかなり美味しいらしい。今後高い甘酒に甘んじて買い続けるか、いっそ甘酒を離脱するか。どちらにしても甘くない選択肢である。いっそ、点滴っていうくらいだから保険適用にしてくれればいいのにな。おいらは毎日一万円分くらいの薬を飲んでいるが、そんなのをガバガバ飲ますより、甘酒の方がよっぽど安く済むんだけどなあ。

早すぎる五月病

仕事が始まってまだ一週間めだというのに、毎日すごく疲れる。いすにすわっていると、腰や背中がかなり痛くなった。午後になると帰りたくて仕方がなく、時間の流れがとても遅く感じられた。結局あまりに疲れるので、本来の5時過ぎまでいられず、4時半頃には帰ることにした。こんなに疲れるのでは、この先一月と持たないような気がして、精神的にも憂鬱になってしまった。

 週の終わりに南の島に来てから初めて心臓の診察を受けた。結果は、3月の時とほとんど変わらず、TP6.1, ALB3.8, IgG798だった。貧血の状態は未だに続いており、ヘモグロビン11.8で、フェリチンもかなり低めだった。疲れやすいのは、貧血のせいなのかもしれない。そう思うと少し気が楽になったが、結局だからと言って仕事を休めるわけではないので、憂鬱な気持ちは変わらなかった。

 疲れやすいのは貧血のせいもあるかもしれないが、本当は五月病なのなのかもしれない。新しい研究室の研究分野はおいらには馴染みがなく、てんで理解できなかった。だから、議論や会話に全くついていくことができず、取り残された気分になった。とりあえずおいらに与えられた仕事は、生物相について記載された文献ファイルをかたっぱしから集めることであった。目下調べる文献リストは600以上あり、google scholarやciniiなどいくつかの文献検索サイトでそれらを一日中検索し続けた。正直、この単調作業も眠気と疲労を誘った。

 あまりに息詰まると、こっそり抜け出して大学内にある池を見に行った。初日にカワセミが見れた池だ。しかし、カワセミはその後姿を現さなかった。毎日、文献情報ばかりを見ていると、生身の生物が恋しくなった。おいらはもうフィールドワークをやれるほど元気ではないが、でも少しでも実際の生物に触れたくて仕方なかった。もし、このまま数年にわたって文献検索に明け暮れる日々だったらと思うと、ノイローゼになりそうだった。こうした暗い予感が疲れを助長しているのだろう。

 まだ、仕事が始まって一週間しか経っていない。この憂鬱な気分を払拭する方法は思いついていないが、毎日淡々とやるしかない。なんだかそれは入院して、毎日退屈と痛みと苦しみに耐え続け、いつかよくなる時を待っていたときとよく似ている。入院の時の密かな楽しみは、売店に行きガリガリ君を食べることだった。そして今の息抜きは、帰る途中にスーパーに寄って炭酸水を買い、一気飲みすることだ。でもそれもまた、水が溜まってむくみだるくなる原因になるのだった。何をやっても疲れてしまう八方ふさがりな状態だな。これが厄年の本当の恐ろしさか。

青の世界

南の島だというのに、ここ数日意外と寒い。最高気温は20度にならない日が続いている。寒くなると途端においらの体調は悪くなる。寒気がしてだるく、少し頭痛や気持ち悪さがあり、胃腸も不快感が出てくる。体は重く、何もするにも息苦しい。温かい紅茶などを飲んだりしてなんとか午前中をやり過ごすと、やっと体調が落ち着いてくる。

 その割には、ビーチに連日のように行った。南の島の海はこの世のものと思えないほど青く美しい。絵に描いたようなコバルトブルーであった。その海の中を、さらに青い魚がチラチラと泳いでいるのも見えた。また、陸では藍色イソヒヨドリがすぐそばまで近づいてきて美しい声で鳴いていた。その青は、胸の橙色とのコントラストでより一層際立っていた。また、近所にある城跡に行ったときには、アオスジアゲハが乱舞していた。イソヒヨドリの深い青と違って、透き通るような水色の青がキラキラと光っていた。島の野菜も強い日差しを浴びるせいか、青々としていた。オカワカメや青パパイヤなどこれまでほとんど食べたことがない食材はもちろん、クレソンやレタスなど内地でもよく食べる食材も青が濃かった。

 新しい職場となった大学には敷地内に大きな池がある。早速出勤初日に池を見学してみると、鮮やかな青がパッと光って飛んで行った。池に住むカワセミだった。カワセミは妻と子供が以前からずっと見たかった鳥で、おいらも過去に一度しか見たことがなかった。残念ながら今回もおいら一人だったので、今度は家族で見に来よう。

 南の島は、見るもの見るものが青いものばかりの世界だった。そんな中、おいらの顔は寒さで青ざめていた。まあそれも青の世界にはお似合いかもしれないね。

涙そうそう

南の島 OKNWにようやく降り立った。これから全く新しい生活が始まる。でもその期待と不安よりも、まだこれまでの生活の思い出や余韻が大きい。前の住所からの引越しは、場所が場所だけに10日間かかった。荷物を引っ越し業者に出してから南の島に着くまでに、その期間かかったためだ。その間、途中で車を東京からフェリーで送り、生身の人は、知人・友人・親戚の家やホテルを泊まり渡った。そうした放浪の旅がさらに思い出と余韻を強くさせた。

 泊めてくれた方々は皆手厚く壮行してくれた。餞別をいただいたり、ご馳走していただいたり。それ以外にも、子供の学校や保育園の関係者、おいらの職場の関係者、そのほかの知人が数多く送別会を開いてくれた。こんなに周囲の方々が愛情を持って接してくれていたことを深く感じた。特に妻と子供は、深い付き合いの人が多かったんだなと改めてわかり、嬉しい思いと離れてしまう寂しい思いと、様々な感情が混ざり合った期間だった。そんなわけなので、まだ新生活へ気持ちが移れていないのが本音なのである。

 そうした気持ちに加え、南の島なので今はまだ観光地に遊びに来た気分である。昨日は、近所のビーチで少し遊び、島の地元料理、みそ汁定食を食べた。このままずっと観光だったらいいのにな、といっそ思いもしてしまう。本当はまだ不安が大きい。引っ越しが決まった時から続く、移住していいのだろうかという気持ちが今もまだ残っている。でももう実際に移住してしまった。後戻りできない。頑張るしかないのだ。

 朝起きると自分が今どこにいて、何をしているのか一瞬わからなくなる。その感覚は、入院している時と少し似ている。普段の生活とは違う聞きなれない音、匂い、光加減、寝心地、どれもが違和感がある。それがまた少し憂鬱な気分にさせてしまうのかもしれない。ただ入院の時とはっきり違うのは、隣に家族が寝ていることだ。今いるのは、病院ではなく新しい家なのである。だからもっと安心していいのだ。入院せずに家族と過ごしていければ、どんな場所だって楽しみがある。入院しなければなんだって自由にできる。それは本当に素晴らしいことだ。よし、今日もまたビーチに遊びに行こう。

心臓に毛を生やそう

4年ぶりに学会に参加して研究発表を行った。昨年と一昨年は、入院していたため参加できなかった。学会参加だけでなく、ここ数年おいらは闘病に精一杯で、論文も出せず、調査もできず、まともに研究活動をしていなかった。論文は科学雑誌に投稿するものの、落とされ続けていた。そして昨年の地獄入院以降は、研究はおろか日常生活も介護が必要になり、もはや研究者として復帰するのは絶望的に思われた。

 長い間のブランクで、すっかり研究に対する感が鈍ってしまった。先日の学会は、鈍った研究力を少しでも取り戻そうという意味も込めて臨んだのだが、実際は甘くなかった。もはやおいらは、学会において忘れられた人物だった。触れてはいけない、関わりたくない存在になってしまった。何人かの知り合いにあったものの、皆会ったことを後悔するような、面倒臭そうな雰囲気を感じられた。あるいは、気づかないふりをしてすれ違っていった。そして肝心の発表も、聴衆はほとんど興味がなさそうだった。

 本当は、どれもおいらの被害妄想で、気のせいなのかもしれない。ただはっきりしているのは、おいらの研究者としての実力は現状相当低いということだ。他の研究者の発表内容はどれもハイレベルで、わからないものが多かった。でもそれでうじうじいじけて、病気のせいにしては心臓に申し訳なさすぎる。心臓も怒ってまた調子悪くなってしまうだろう。せっかく4月から職が得られたのだから、いじけている暇があったら、もっと勉強して少しでも追いつくようにすればいいのだろう。でも正直気が重い。新しい職場では、おいらよりはるかに若い研究者がバリバリ仕事している。先日の発表では、その方の発表も聞いたのだが、難しくてほとんど理解できなかった。きっとおいらが務め始めたら、あまりに無知で呆れられてしまうだろう。上司の先生も期待はずれで、がっかりするに違いない。

 今まで大好きだった研究がこんなに重く感じるのは初めてなことだ。でも、論文を書いて雑誌に掲載された時の喜びは、どんな嫌なことも吹き飛ばしてくれるだろう。おいらは、論文は人類が書く文章の中でも最も崇高な価値がある文ではないかと思っている。一つの論文を完成させるのには並大抵の労力ではできない。厳密な調査や実験によってデータを得て、科学的に適切な方法で分析し、その結果を簡潔かつ論理的に説明する。そして同業の研究者によって、厳しく審査される。そうすることにより、限界までミスをそぎ落とし、客観性と普遍性のある成果となる。だから一つの論文を発表できた時は、とてつもない達成感を感じる。仕事は辛いことも多いかもしれないけど、やり続けていればいつかまた論文を発表できるだろう。いっそ論文、論文と念仏のように唱えて、仕事に励むのだ。たとえ気狂いだと思われても、心臓に毛を生やして気にせず平然としていよう。

怪しい雲行き

やはりデスゾーンの攻略は難しいのだろうか。二ヶ月前にプレドニンを8mg/日に減量してから、タンパクの値が下がり続けている。2月の検診の時も、そして先日の3月の検診の時も下がっていた。TP6.1、アルブミン3.7、IgG709になった。アルブミンは昨年の7月以来4以上を維持できていたが、ついに3台に落ち込んだ。さらに気がかりなのは、ヘモグロビンが11.9とかなり下がってしまったことだ。血清鉄も27となり(正常は44以上)、完全に鉄欠乏性の貧血状態だった。そして、この数日胃のあたりがもたれ、不快感がある。胃腸が再び炎症を起こし、タンパク漏れや出血を起こしている可能性がある。

 昨年の地獄入院の時と比べれば、まだはるかに良いので回復する見込みは十分あると思う。腎臓や肝臓の値は非常に良い。むくみもまだ出ていない。甘酒を飲み、胃腸に良い食べ物を食べて、体をいたわればなんとか持ちこたえられるかもしれない。ただ、これから南の島に向けた引越しのため、外食が多くなる。荷物を送ってから南の島に到着するまで10日ほどかかるため、その間親戚や知り合いの家を渡り歩いて、主に外食で過ごすことになるからだ。

 引っ越して早々入院だけは何としても避けたい。やっと手にした職なので、初っ端からつまづきたくない。引っ越しも遠いので、楽ではない。引っ越してすぐ、落ち着く暇もなく、おいらが入院してしまっては家族も共倒れになってしまうだろう。これが厄年の恐ろしさなのだろうか。昨年の前厄でもう十分苦しんだのだから、どうか今年は平穏に過ごさせてほしい。神様お願い。おいら、頑張って仕事するよ。贅沢は言わないよ。多少しんどいことがあってもいいから、せめて入院だけはせずにいさせてほしいよ。