ある生物学者の不可思議な心臓

ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命について考える。

希望も絶望も持たない

今から一年前の地獄入院から退院した直後。おいらはしゃがむことができず、床に座ることができなかった。電動式の介護ベッドに寝起きし、ベッドから体を起こす時は電動で上半身をあげる必要があった。腰椎圧迫骨折のためコルセットを体に巻き、痛みで寝返りするだけで悶絶した。杖無しでは歩けず、階段はおろか段差も1、2段上がるのも一苦労だった。椅子やトイレなど低いところにも座れず、トイレには座高を高くするアタッチメントをつけていた。トイレに行くのが大変なので、オシッコは尿瓶で寝ながらした。1日の大半はベッド上で過ごしていた。

 食事と水分制限も厳しく、腎臓や胃腸に負担をかけないよう、脂もの、塩分、タンパク質、水分を少なめにしなくてはならなかった。一方、栄養をたくさん摂る必要はあり、甘いものをやたらと間食した。そんなわけで外出するときはもちろん、家の中でも多くの場面で家族の介助が必要で、実際要介護認定を受けていた。自分の身の回りのこともできず、働いて収入を得るなど夢のまた夢だった。

 しかし、今その夢のまた夢が実現してしまった。疲れはするものの、週5日フルタイムで働き、家族を養えるほどの収入を得られるようになった。家族の介助も必要なくなり、床にも自由に座ったり寝転んだりできるようになった。食事も制限がなくなり、先日は200gのステーキをがっついた。念願だった水分も今ではペットボトルで炭酸水を一気飲みできた。そして今日、地獄入院からの退院後一度も再入院することなく丸一年が過ぎた。とても長い一年だった。

 振り返れば、地獄入院から今日まで辛いことがあまりに多く、もう二度と味わいたくはない。しかし、この一年の経験は、自分の生き方、人生観を大きく変えた。その意味で見れば、この経験は全く無駄ではない。一年前と現在どちらが良いというわけではないが、自分の生き方が楽になったように思う。諦めの気持ちもあるかもしれないが、多くを望まなくなり、些細なことで幸せを感じられるようになった。

 来年はどうなっているだろうか。この一年の経験で、未来は全く予想できないと思った。理想を掲げても叶わず、逆に絶望しても復活したりする。だから、理想も持たず、絶望もしない。無欲・無心で悟ったように生きるのだ。なんて、嘘。本当はパーマネントの大学教員職に着いて、好きな研究をやりたい放題やるのが夢。そのためにも、密かに毎日少しずつ論文を描き進めているのだ。来年までに論文3本出しちゃうよ。