ある生物学者の不可思議な心臓

ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命について考える。

毛が生えた程度は根本的な違いである話

たまには生物学の小話でもしてみよう。先にお断りしておくと、話が進むほどうざったい独りよがりな展開になって、眠たくなること間違いなし。途中でギブアップして全然OKです。

 その生物は、野菜売り場にごく当然のようにありふれて陳列されている。がしかし、その真の姿は野菜とは全く縁遠く、動物の方にはるかに近い生物である。そいつは、過去現在にわたって、一度も肉売り場に陳列されたことはないし、これからも未来永劫動物として売られることはないだろう。皆さんはそれが誰かわかるだろうか。そう、キノコと呼ばれ親しまれている菌類の仲間である。菌類はキノコだけでなく、発酵食品を作り出す酵母やカビなども含まれる。

 生物学的には、菌類は植物よりも動物に系統的に近い生物のグループである。菌類と動物の共通点は、後方鞭毛という特徴であり、これは遊走細胞(動物の精子、菌類の生殖細胞)の後ろ側に一本の長い鞭毛(尾っぽみたいなもの)があり、鞭毛を動かして前方(鞭毛のある側と反対側)に進む。たったそれだけ、と思うかもしれないが、後方鞭毛は遊走細胞の特徴を分類する上で、極めて重要で根本的な性質になる。ではそれ以外の生物はというと、例えば植物は、遊走細胞の前方に2本の鞭毛を持っている。ちなみに、波平の頭のてっぺんには毛が1本、オバQは3本、ミニオンのケビンは10本くらいある。まあ、これらの毛はただの毛であり、鞭毛とは解剖学的に全く異なるものだ。そんな波平もオバQミニオンも、彼らが動物である以上、元々は鞭毛1本の精子が起源になって出来上がっているのだ。

 ところで、上記で動物と言っているグループも実際には色々なものが含まれる。我々哺乳類や鳥、両生爬虫類、魚などの脊椎動物はもちろんだが、イカ・タコ・貝類、ウニやヒトデの仲間、海綿、昆虫やエビ・カニなどの節足動物なども皆動物である。そんな動物界のゆかいな仲間たちと菌類を合わせたより大きなグループを、生物学の専門用語で「オピストコンタ(すなわち後方鞭毛生物)」と呼ぶ。おそらく、専門的な生物学を学んだ人でなければ、今まで一度も聞いたことがない言葉だと思う。でも一度聞くと、なぜだか口に出して言いたくなり、どこかで使いたくなるような不思議な魅力を持った言葉だ。オピストコンタ。なんとも言えないもぞもぞするかゆくて気持ちいい響きである。

 こんな生物学の専門的な話をしたからといって、でもやっぱりキノコは野菜の一種だよな、動物じゃなくて植物の方が近いよな、という感覚は変わらないかもしれない。でも、植物と菌類、どちらが人間に近いかと言えば、ほんの僅かだけど菌類の方が近いかなと感じるのは、気のせいだろうか。生物学の知識を持ったからそう感じるだけだろうか。今となっては、知識がなかった頃の感覚を思い出せないが、人間にはたとえ知識がなくても、生物を近いもの同士に分類できる能力を持っているのは確かなようだ。それはなぜだかは、現代科学でも解明できていない大きな謎である。でも、その能力のおかげで、人類は生き物の区別し利用することができた。そしてまた、その能力故に人類は人類自身も区別し差別してきた。

 菌類を植物と分類したように、人の分類能力は不完全であり時に大きく間違いを犯す。人間が人間を区別し差別することは憎むべき行為ではあるが、人が進化の過程で獲得した悲しき能力の一面なのかもしれない。であるならば、差別にひたすら抗うよりも、全ての人が持つ性質と認め、それを乗り越えプラスに転換する未来を求めた方が良い。障害もまた、マイナスと捉えていてはなにも前に進まない。障害をプラスに転換する世界をおいらは願っている。なんて、偉そうに語っちゃって。まあ、博士は英語でDoctor of Philosophy(哲学博士)とも言うからね。たまに哲学語っちゃっても許してね。