ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命についてつづるよ。

おのおの抜かりなく

おいらの就職活動が終わった。先週受けた遠方での面談で、正式に採用されることになったのだ。4月からフルタイムの研究職に復帰する。ちょうど昨年の今頃、おいらは地獄入院のさなかにあり、生きるか死ぬかをさまよっていたことを思うとまさに奇跡的なことである。正直、もう二度とまともな研究職にはつけないだろうと思っていた。だから本当に本当にありがたい話である。

 4月からの勤め先は、今住んでいる環境とは真逆の南国の島である。今住んでいるところは、ときに本州で最も寒くなり−20℃もまれではない地域である。豪雪ではないものの1m以上は積もり、標高は1300mになる。先天性心疾患、特にフォンタン患者にとって寒さと高標高は大敵である。先行研究でも、高標高に住む患者ほど心不全になりやすく、運動機能が低下しやすいという報告がある。そんなわけで、南の島への移住は、心臓にとってもいいはずだ。仕事も決まり、体にも良い場所へ住めるなんて、これ以上になくめでたいことである。

 しかし正直おいらの気持ちは重かった。話が決まってからも、本当に移住していいのかと悩みに悩んだ。それは、ひとつに今の地域にもう大分長く住み愛着を感じていたからだ。おいらだけでなく、妻や子供もすっかり地域にとけ込み、知人友人ができていた。そうした人々と別れるのはとても寂しい。息子はスキーにはまり、ほぼ毎日練習に励んでいる。移住先は南国なので当然スキーなんてできなくなり、それもかわいそうでならない。それから、今の地域の食べ物がとてもおいしいのが名残惜しい。山国なので海の幸はないが、果物や野菜がとても新鮮でめちゃくちゃおいしいのだ。おいらは、桃、梨、ぶどう、りんご、みかん、など食べまくってのどを潤した。それは水分制限で常に口渇感が耐えないものには、命の恵みであった。それらを失うのは本当に寂しい。

 そして、体の心配もある。移住先は温かくて心臓にはいいはずだが、夏はかなり暑いので今度はそれに耐えられるだろうか。新しい地域での病院はちゃんとケアしてくれるだろうか。現在かかっているNC病院は、本当に良くしていただいた。この病院がなければおいらはとっくに死んでいただろう。NC病院から離れることは不安が大きい。そんなおいらの不安に追い討ちをかけるように、先週いった定期検診では、血中蛋白の値が少し低下していた。もちろんまだ入院するようなレベルでは全然なかったが、もしこのまま低下し続ければ、最悪移住早々入院なんてこともありうる。そんなわけで、折角一度は減量したハイゼントラを再び増量することになった。

 職に就くという頂上は見えたものの、まだデスゾーンは脱していない。体は相変わらず寒さとプレドニン離脱症状で、朝は特に頭痛や関節痛、だるさなどに悩まされている。先日面談にいった際には、帰りの飛行機で案の定体調を崩してしまった。今後移住すれば何かと飛行機に乗る機会が増え、その度に体調を崩さないかと不安になった。引越の準備も進んでいない。場所が場所だけに、引越費用が異常に高く見積もられ、ある引越業者からは100万以上といわれた。とても無理な話なので、なんとか安くならないかと模索している。実はまだ移住先の住む家も決まっていない。現地での下見をせずに契約をしてくれるところがなかなかなくて、次々断られている。

 いっそ今のところに住み続け、研究職にこだわらずなにか障害者枠の職でもつけば良かったのではないかと悩みもする。でもそれはそれでリスクが大きいだろう。40歳にもなって、体が不自由のなか初めての仕事をするのはかなり疲労も大きいと思う。おいらは、才能もない3流研究者だけれども、一応研究者になるための高等教育を9年受け、その道で11年仕事して食ってきたのだ。研究職を続けることが一番おいらにとって合っていることは間違いない。いろいろ悩むところは多いが、ここは腹をくくって研究者としての人生に掛けるのだ。年は食ったがそんじゃそこらの研究者には、負ける気がせん。