ある生物学者の不可思議な心臓

ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命について考える。

避けられない手術

そろそろ、また過去の話をしよう。今から約2年ほど前のフォンタン再手術(TCPC conversion)のことだ。手術直後の状態は以前書いたが、その時の入院の全貌を、これから何回かに分けてお話ししたい。

 おいらが再手術を受けるに至った経緯は、4年半前にさかのぼる。2012年12月ごろ、おいらの心臓は限界に近かった。毎日、1日のうちに何回も心拍数140を超えるような不整脈が襲った。大体は30分くらいじっとしていればおさまったが、不整脈が起きているときは座っているのすら辛く、苦しかった。翌年の2月おいらはついに病院に診察に行った。それがこれまで大変お世話になり、再手術も受けたNC病院である。

 病院の医師は、おいらの状態を見てすぐにその危機的状況を悟った。おいらが研究者であることを話すと、「では、お互い科学者として遠慮なくはっきり言わせてもらうよ」と前置きをして、ズバズバとおいらの病態を話した。おいらは、不整脈のせいでいつ倒れたりするかわからない、PLEにかかっている、心房が肥大して心臓が伸びきっている、できるだけ早くカテーテル検査や再手術が必要とのことだった。おいらはトラウマになる程カテーテルが嫌いだったので、カテーテルという言葉が出た途端、不整脈が発生してしまった。慌てた医師はすぐに緊急治療室においらを運び、不整脈を止める処置を施した。何か薬を注射され、頭に氷を当てられ、息止めをさせられと、怒涛の勢いで処置されて、逆に死にそうだった。

 しかし、それからフォンタン再手術を受けるのはさらに2年後の事である。その間に、何度か不整脈を止めるアブレーションやカテーテル検査を何度か受けたり、PLE治療のための入院を繰り返したが、おいらの病態はますます悪くなっていった。本当はもっと早く手術をするはずだった。主治医の先生もそれを望んでいたが、NC病院では大人のフォンタン再手術の経験が少ないのか技術的に難しく、おいらが子供の頃手術を受けたTJ病院を紹介された。しかし、TJ病院では、再手術を待つ患者が多くおいらの順番が回ってくるまでだいぶ時間がかかりそうだった。そうして手術の予定が決まらぬまま2015年に入った頃、おいらはいよいよ待った無しの状態になった。不整脈は止まらなくなり、PLEで身体中がむくんでいた。アブレーションをさらに2度受けたが、結局不整脈は止まらなかった。残された希望は、フォンタン再手術と同時にメイズ手術とペースメーカー埋め込み術を受けることだった。全てがうまくいけば、血行動態はよくなり、不整脈の発生源がなくなり、心臓のリズムが安定する。そうすれば、PLEも改善する可能性があった。

 そんな時、NC病院に新しい心臓外科医の先生が来られた。それはおいらにとって奇跡的だった。その先生が来たことで、NC病院で手術を受けられることになり、主治医の先生の強い要望もあって急遽優先的に手術を受ける予定を組んでくれたのだった。そして、6月手術のための入院が始まった。それはおいらにとって、20数年ぶりの手術入院であった。とても苦しい思いをすることは覚悟できたが、不思議と憂鬱な気分はなかった。むしろ、手術を受けなければさらに酷くなることは明らかだったので、望むところだった。そうとなったら覚悟は決まり、戦いに赴くような興奮状態になった。