ある生物学者の不可思議な心臓

ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命について考える。

箱の底に残った希望

新政党から二人の重度障害者が国会議員に当選し、世間の注目を集めている。国会ではバリアフリー対策が一気に進み、障害者の社会進出に大きな前進が期待できる極めて革新的なことであった。しかし、世間の反応は、パンドラの箱を開けたように、これまでうちに秘めていた障害者に対する不満や差別が一気に噴出する状況になってしまった。正直、おいらはものすごく息苦しい。薬を変えてせっかく不整脈が落ち着いてきたというのに、ある意味で不整脈で息苦しかった時よりも苦しいし辛い。そうした世間の不満は、ごく限られた人だけのことかもしれないし、そうでないかもしれないが、おいらにとって知りたくない事実だった。

 3年前の障害者無差別殺人事件の際は、犯人の身勝手な差別思想に少なからず社会は反発していた。障害者は社会のお荷物だという犯人の思想は共感する人もいただろうが、表立って正論として堂々と言えるような思想ではなかった。でも上記の二人の議員に対しては、ごく自然に同様の差別的意見が議論されている。テレビの街頭インタビューではごく普通の人々が、「まともに仕事ができるのか、税金が無駄、健常者が議員になって代弁すべきでは」といった意見を悪びれることなく語っている。おいらにとっては、こうした意見も無差別殺人の犯人の思想とほとんど同じにしか感じないのだが、無差別殺人の時のような批判は全くない。むしろ、重要な一つの意見として平然と取り上げられている。ネットに至っては、見るに耐えないような差別の嵐が吹き荒れている。3年前の時は、世の中から少し差別や偏見が減るのかなと期待しただけに、現実を突きつけられて甘い夢から叩き起こされたようだった。

 目が覚めた以上、一人落ち込んで苦しんでいてもしょうがない。「動きます」などと威勢のいいことは何もできないけど、たとえ人々からどう思われようとおいらはこれからも生きていく。確かに、おいらが生きているだけで、健常な人より大量に税金がかかり、多くの人々の手助けが必要で、一方でできることは限られている。社会のお荷物ではないかという不安は、考えるべきではないし考える必要もないのに、常に頭のどこかに意識してしまう。それは裏を返せば、自分の中にある差別意識でもある。だからそれが表面化して、余計に苦しいのだろう。

 先日、フォンタンのセミナーで3年ぶりに以前の主治医の先生とお会いした。この先生はまさに命の恩人で、絶望的状況から救ってくれた。それだけに、おいらが今元気で過ごしていることをとても喜んでくれた。おいらが自分のことを社会のお荷物だなんて思ったら、その先生がしてくれたことも社会のお荷物になってしまう。その先生だけじゃない。おいらを助けてくれた全ての人々に対し、その行為がお荷物になってしまう。それは、耐え難く辛い。おいらにできることは一つ、これからも生きて病気と向き合い続けることだ。いつかその先に納得する答えが見つかる希望がある。

天国は地獄の入り口

7月に入り心房細動が度々出るようになった。7月後半からは毎日出続けるようになり、電気ショックも効果が期待できなくなった。そこで、投薬の量や種類を変えることになり、まず以前から飲んでいるアンカロン(アミオダロン)の量を増やしてみた。だがあまり効果は見られず、2日前からは薬をベプリコールという種類に変えて服用することになった。今のところその効果は、はっきり現れていない。

 心房細動が止まらなくなった7月からは、みるみるおいらの体調は低下していった。まず、ちょっとした動作ですぐに疲れて息切れがしてしまう。胸やみぞおちに不快感が常にあり、寝ていると体全体が揺れるほどの動悸を感じた。血中のアルブミンやタンパク量が急激に低下し、足が浮腫んできた。不思議と息苦しくむくんでいる時ほど、口がやたらと乾くため、つい水分を摂り過ぎてしまい、さらにむくみを加速させた。体重は1ヶ月で2キロ増えた。夜寝ていると、夜中や朝方が苦しくなった。体全体に力が入らず気力が湧かなかった。

 そんな危機的状況にも関わらず、先日は絶好の海日和だったため、海水浴に出かけていった。その場所は、知人に教えてもらった穴場ビーチで、おすすめ通り素晴らしいビーチだった。砂浜は白く水は透きとおり波も穏やかで、遠浅の海は天然のプールのようだった。水の中には小魚が群れをなして泳ぎ、時々かなり大きな魚も横切った。陸では強烈な日差しで肌や服が焼けるように熱くなったが、水に入ると熱せられた体を優しく冷まし、この上なく気持ちよかった。南の島だからこそ味わえる極上の贅沢であった。

 そのまま海面をただプカプカと浮いて極楽を味わっていればよかったのだろう。しかし、おいらは生物学者の血が騒ぎ、つい魚を見たくなりシュノーケルをつけて水中を覗き見ることにした。今までならシュノーケルをつけて息ができていれば、さほど苦しくならなかった。しかしその日は違った。シュノーケルで呼吸するとひどく苦しい。しまいには吐き気をもよおし、危うくシュノーケルをつけたまま吐きそうになった。もし吐いていたらシュノーケルの筒からゲロが噴出して、楽園のビーチが一瞬で地獄の光景になっていただろう。

 ついには水に入っているだけで苦しくなってきて、おいらは早々に海を出て先に車に戻って着替えることにした。ビーチから車までのわずかな距離も恐ろしく遠く感じられ、ゼーゼー言いながら歩いた。そんな時に限って、朝飲んだ利尿剤が急に効き始め、凄まじい尿意が襲ってきた。トイレは車よりさらに遠かった。さらにこの日は、5月から痛めた右脚が特別に痛んでいたため早く歩くこともできず、尿意と息苦しさと吐き気と暑さと脚の痛みが同時に襲い、気を失いそうだった。

 だが、おいらはこれまで散々地獄を味わってきただけある。歯を食いしばってギリギリで耐えなんとかトイレに着き、まず尿意から解放され、次に車に戻りエアコンをガンガンにつけて暑さからも逃れられた。ここまでくればもう勝利は目前である。落ち着いて一つ一つやるべきことを片付けていった。水着を着替え、砂まみれの足を水道で流し、水分を補給し、もう一度トイレに行った。その頃には、家族も海から上がって戻ってきていたので、おいらは何事もなかったかのように水着や草履を片付けて、帰り支度を済ませた。そして、帰り道のコンビニに寄り、エアコンの効いた店内で体を冷まし、もう一度トイレに行き、よく冷えた水分を補給すると、おいらを散々襲っていた苦しみは幻のように薄らいでいった。

 今冷静になって思い返すと、無事何事もなく帰れたのは奇跡的だったかもしれない。いつ吐いたり尿を漏らしたり気を失ってもおかしくなかった。最悪は、苦しさのあまり海で溺れたり、吐いて海水やゲロが気管に入ってしまったりしたら、死につながっていたかもしれないのだ。だから皆さんも気をつけよう。どんなに天国のように見えるビーチでも、地獄の入り口は常にあなたのそばに潜んでいるよ。

フォンタンの未来

先日、フォンタン患者とその家族それに全国から集まった小児循環器医が参加したフォンタンのセミナーがあり、おいらは患者の一人として体験談を語ることになった。おいらは、今住んでいる南の島の中ではフォンタン患者として最高齢らしいが、それは別に偉いことでもなんでもない、というひねくれた導入から始まり、10分弱で自分の病気の体験をプレゼンテーションにまとめてお話しした。生物学者の端くれとして、ここぞとばかり生物学的視点も加えて説明したら、これが思いの外好評だった。

 その発表の内容はともかくとして、先天性心疾患に関する生物学的研究は現在に至ってもほとんど行われていない。そもそも、生物学と医学は全く別の学問分野として確立しており、それぞれが同じ問題を研究することはあまりない。先天性心疾患も例外ではなく、医学的研究は数多く行われていても、生物学者にはほとんど無視されている。先天性心疾患が遺伝性の病気であったら、少しは話が違っていただろう。遺伝学は現代生物学の中でも最も研究が盛んな分野であり、生命現象に関わる遺伝的メカニズムは、病気であろうが行動であろうが研究対象になりうる。先天性心疾患は遺伝でないため、発生過程で生じたバグかエラー程度にしか認識されず、生物学者にはあまり興味を引かないようだ。それは随分と失礼な話ではあるが、生物学の観点からの基礎研究は、医療に直結せず研究資金がおりにくいという事情もある。

 そのような状況の中でも、先天性心疾患の生物学的研究について解説した貴重な本がある。ロブ・ダン著『心臓の科学史』という本で、原題はThe man who touched his own heart(自分の心臓に触れた男)という刺激的なタイトルがつけられている。これは自分自身の体を実験台として初めて心臓カテーテルを成功させた男から、つけられたものである。本の内容は、カテーテルだけでなく、レオナルド・ダ・ヴィンチが詳細に心臓を解剖した話から始まり、ペースメーカー、人工心肺、心臓移植、人工心臓、バイパス術等の様々な心臓疾患の医学史がわかりやすく物語調に語られている。残念なことに、本の大部分は心筋梗塞動脈硬化などの後天性の成人心臓疾患に関することで、先天性心疾患の記述は多くない。特に、フォンタンについては全く触れられていない。しかし、著者は生粋の進化生物学者だけあって、心疾患の進化的起源に関する数少ない研究例を詳しく紹介している。それゆえに、本書は「心臓の医学史」ではなく「心臓の科学史」というタイトルがふさわしい。内容は理解が難しい点はあるが、心臓病を抱える患者にとっては、一読の価値があるといえる読み物であった。

 おいらは、先天性心疾患は今後生物学で取り組むべき重要なテーマだと思っている。上記の本でも触れられているが、先天性心疾患は2心室性の複雑な心臓持つことによって生じた必然的な運命なのであろう。複雑な心臓は発生が難しく、発生過程のちょっとした逸脱で奇形が生じてしまう可能性がある。それはエラーと言えばそれまでかもしれないが、先天性心疾患が生じる生物学的メカニズムがわかれば、人類はより深く心臓を理解し、将来の先天性心疾患の治療に大いに役立つことは間違いない。フォンタン循環は、遠隔期に多様な合併症が発生するため、明らかに心臓と全身に負担のかかった血行動態と言える。いつか遠い将来には、より負担の少ない新たな手術法が開発され、フォンタン術は廃れていくであろう。それは、心臓の基礎生物学的研究の発展によって開ける道なのかもしれない。

スリルなネイル

 先天性心疾患の患者で特にチアノーゼの症状を持つ人は、共通してばち指と呼ばれる指の変形が見られる。ばち指は、手足の指の先がカエルのように膨らみ、爪は丸くなる。これは血流が悪いために指の先端がうっ血し、膨らんでいくために起こる。さらに、チアノーゼ症状の患者の場合は、爪の血色が悪く独特の薄紫色をしていて、遠くから見てもばち指であることがよくわかる。おいらは子供の頃、エレベーターに乗っていたら見ず知らずの人から、子供なのにマニキュア塗っているのか、と怒られたことがある。お返しに薄ら笑いをして見つめたら、気持ち悪そうにして何も言わなくなった。

 ばち指は、見慣れない人からすればなかなか気味の悪い指に見えるかもしれない。しかし、おいら自身は子供の頃から特別なんとも変に思わなかった。むしろ、つるんと丸まってどこか可愛らしくもあり、ヘルメットみたいで面白かった。まさにばちのように、爪と爪をぶつけてパチパチ鳴らして遊んだりした。一番丸まった指だと、爪が下に90度ほど曲がっていた。曲がった爪はのびると指の肉に食い込んでいく。ある程度大きくなり、自分で爪を切るようになってわかったのだが、丸まった爪を切るのはかなり難しい。肉に食い込んだときには、肉をかき分けて強引に爪の裏に爪切りの刃を差し込まなくてはならない。自分でやるから痛くない程度がわかるが、小さい時は親が切っていたのでさぞ親も不安だっただろう。どこまでが切っていい部分かわかりにくいし、ギチギチに詰まった肉と爪の間に刃を差し込むのは見るからに痛そうで、かなり勇気がいる。しかし、切らなければさらに食い込み、肉が化膿してしまう。

 そんなばち指ともお別れする時が来た。13歳のときのAPCフォンタン手術を受けて以来、爪が改善してきたのだ。実際には、10年以上かけて爪が平らになっていった。黄金時代の20代には健常者と変わらないほど平らになった。爪切りも抜群に楽になり、肉と爪の間に刃を差し込むスリルはなくなった。

 そのばち指が、時を経て再び蘇りつつある。不整脈が多発し第2の闘病時代が始まった30代後半から、再び爪が丸まってきたのだ。特に足の人差し指は今では70度近く曲がっている。2度目のフォンタン手術を受け、不整脈がなくなり血行動態は安定したものの、絶対的に血流が良くなったわけではない。だから、うっ血は指の先を含め様々な部位で起りやすくなっている。でもおかげで楽しみも蘇った。爪切りを差し込むスリルをまた味わえるのだ。差し込むのが難しいほど、サクッと入り込んだ時の快感も大きい。切り取った爪が予想以上に大きい時は、大きな耳垢が取れたような喜びに浸ることができる。この快楽は、ばち指保持者だけが堪能できる特権なのだ。

 

 余談だが、日本心臓財団の「ばち状指」の解説ページに貼ってある手足の写真が、あまりに現在のおいらの手足に似ていてびっくりした。肌の色や質感、やせ細った手足の形、ゴツゴツした指、隆起した血管、どれもこれも似ている。もし叶うならこの方と一度握手してみたいものだ。

3年目の正直

 今日で、このブログを開設して丸3年になる。この一ヶ月ほど悩み続けていた。一度は決心がついた。その決心を表明するときは今日と決めていた。決めてしまうと、肩の荷が下りたかのように気持ちが楽になる部分もあった。だが、それでも迷いは続いた。

 大体ご想像がついた方もおられるかもしれないが、おいらが悩んでいたこととは、このブログを中断することである。この数ヶ月ブログを書く頻度は徐々に減ってしまった。それは、忙しかったり体力的にゆとりがないというのもあるが、人様にお話しできるほどの話がなくなったこともある。大人になってからの第二の闘病記を中心に、二度目のフォンタン転換手術、PLE入院、消化管出血の地獄入院、心筋梗塞不整脈、薬、食事や水分制限、障害者としての生き方、フォンタンマスターなど、主だった病気の体験はおおかた書き記した。もちろんそれで全てではないが、それ以外のことはこれまで書いたことに比べれば、瑣末なことに思えた。

 比較的あまり書いていないことは、子供の頃の闘病経験である。しかし、それはただの思い出話であり、今まさに病気と闘っている方々にとっては、あまり価値がある内容ではないだろう。それから、病気とともにこのブログのもう一つのテーマである生物学に関しても、正直おいらの学問的活動が行き詰まっていた。毎日のように調査や実験を行い、最新の論文を読んでいたりする時であれば、日々新しい発見に出会いそれをお話しすることもできたであろう。でも、現在は古びた昔話しかできない。できれば生きた話題を提供したかった。そう、このブログのメインテーマは、まさに「生きること」だからだ。

 おいらのブログ更新頻度が少なくなったためなのか、そもそもつまらない内容だったのか、次第に閲覧数は減り続けた。なおさら、もう潮時だなと思えてきた。ブログを中断しようと決心はしたが、それは完全な終わりではなく、2つのどちらかの条件が訪れれば再開するつもりだった。一つは、第3の闘病時代が訪れる時。もう一つは、奇跡的に大学教員の職につくことができ、おいらが自由に研究をできるようになった時だ。どちらにしても、おいらの中で「生きる」意欲が再び燃え上がることだろう。どんなに無様な姿であっても、生きることに向き合う姿勢をこのブログでは綴りたいと思った。

 やっと決心がつきかけた時、ふとおいらのブログを訪れてくれる方のブログを閲覧すると、どんなことがあっても書き続ける、という言葉があった。ずしりと重く伝わった。なんだかおいら自身に言っているようにすら感じた。それに追い打ちをかけるように、別の方々からは励ましのコメントをいただいた。やっとついた決心がぐらぐらと揺らぎ、そして崩壊した。いいじゃないか、話す話題がなくても、古びた昔話でも、書けることを書いたらいい。今はおいらの生きる意欲や活力が低下しているが、それもまた無様な生きる姿なのかもしれない。

 はあ、正直な思いを書き綴ったら、なんだかスッキリした。次回からはより正直により無様な姿をお届けするよ。

終末への安堵

大型連休の頃から、片足の股関節が痛くなった。やがて股関節をかばうように歩いているうちに、膝まで痛くなってきた。今では片足を引きずって歩くほどになってしまった。恐れている原因は2つある。一つは、関節軟骨が減少することによって骨同士が当たって痛む変形性股関節症である。しかしレントゲンを撮り診てもらった範囲では、その兆候は現れていなかった。もう一つの可能性は、大腿骨骨頭壊死である。これはプレドニンの長期大量服用によってごく稀に起こる症状で、名前の通り骨が壊死して潰れてしまう症状である。レントゲンでは、骨頭壊死かどうかは正確に判断できず、確実に診断するにはMRI検査が必要になる。

 しかし、おいらはペースメーカーを入れているためMRI検査を受けることはできない。今までその理由をよく理解していなかったが今回改めて主治医に尋ねたところ、ペースメーカー本体よりもリード線に問題があるとのことだった。 リード線はただの針金のようなものではなく、コイル状に外側に別の金属が巻かれているのだそうだ。ここにMRIの磁力を当てると、まるで電子レンジの中にいるかのように発熱し、リードに接触する部位が焼け焦げる恐れがあるそうだ。なんとも恐ろしい。もしそんなことになれば痛みもすごいだろうが、リード線が刺さった心筋が破壊され、一貫の終わりになるだろう。

 そのようなわけでMRI検査を受けられず、未だ骨頭壊死かどうかが分からないまま経過観察するだけの状況になっている。もし骨頭壊死になった場合には、人工関節に置き換える手術が必要になる。入院期間は3−4週間だそうだ。一般的にはさほどリスクの高い手術ではないだろうが、おいらの場合致命的になりうるほどリスクが高い。まず、ステロイド服用で免疫機能が抑制されているために、大量の出血を伴う手術には感染症のリスクがある。大した出血のない大腸ポリープの切除手術でさえ、その後感染症になり入院が長引いた。もし、細菌に感染しそれが血液内に蔓延すると、フォンタン手術によって埋め込んだ人工血管や癒着を防ぐゴアテックスのシート、ペースメーカーとリード線などの人工物に菌が付着し繁殖する可能性がある。人工物には血液が行き届かないため、いくら抗生物質を投与しても菌を退治することはできない。最終的にはそれら人工物を入れ替える必要が出てきてしまう。

 だが、感染症はまだ比較的可能性の低いリスクである。現実的においらにとって致命的になるのは、3−4週間ほとんどベッド上で過ごすことである。おいらの筋力は現状で日常生活をギリギリ送れる程度しかない。だから数日寝たきりの生活を送るだけで、そのはかない筋力が失われ完全に寝たきりになってしまう可能性が高いのだ。3年前に地獄入院を味わった時もそうした絶望的状況になったが、なんとか復活することができた。しかし、それが2度実現できる保証はない。

 絶望を乗り越えるためには、絶対に生きるという強い意思が必要である。どんなに恥を晒しても、身勝手で自己中心的な振る舞いをしようとも、がめつくしぶとく貪欲に生を求める意思である。おいらにそんな意思が残っているだろうか。正直なところ自分の心の奥底に、どこか人生への疲れのようなものを感じてしまっている。もっと言えば、終末が近づくことの安堵感すらある。そんな馬鹿げたことを考えるくらいなら、とりあえず今度の週末は大好きなかき氷を食べて、一旦頭を冷やすとしよう。

消滅の恐怖

20年近く前に読んだプリーモ・レーヴィの『アウシュヴィッツは終わらない―あるイタリア人生存者の考察』という本が、あまりに衝撃的で今でも記憶に残っている。著者は、本のタイトルの通り第二次世界大戦時のアウシュビッツ強制収容所を生き延び、その体験を事細かく正確に描写した。収容所内での残虐な行為も恐ろしかったが、人間性が徹底的に破壊されていくプロセスが何より恐ろしかった。特に印象深く今でも心に刺さっていることは、「人間にとって最も恐ろしいことは、自分自身のすべての存在・痕跡・記録を抹消されることである」というような言葉だった。すなわち、自分が死ぬだけでなく、自分のことを記憶しているすべての家族・友人・知人、自分が生きていた証、歴史、自分のすべての所有物を一切痕跡なく消されるということである。つまり、それはこの地球上の歴史の中で、自分が存在したことを証明できるものが一切なくなることなのだ。

 現代社会において、そこまで一人の人間を抹消することは極めて難しい。まず、子孫を残すという面においても、包括適応度という生物学理論にあるように、何らかの経路で自分の遺伝子が残る可能性が極めて高い。例えば、自分自身が子供を残さなくても、兄弟や従兄弟あるいはもっと遠い親戚が子孫を残していれば、ある程度自分と同じ遺伝子が受け継がれていくことになる。それに記憶や痕跡は、学校の友人や職場や近所の知人など様々な人々が自分の存在を認識しているであろう。あらゆる人間から隔絶した生き方をすることは、極めて困難である。

 とはいえ、レーヴィが言う自分の存在全てが消滅する恐怖は、現代を生きる人々にも少なからずあるような気がしてしまう。SNSを通じて自分の行動や体験を熱心に発信して他人と共有しようとしたり、友人や家族と毎日メールしたりするのは、消滅の恐怖から逃れようとする気持ちの表れかもしれない。あるいは、恋人や友人や家族がいないことに過剰なほど絶望的な気持ちになるのも恐怖を感じているのかもしれない。人間以外の生物にも、そうした孤独や消滅の恐怖を感じるものがいるのかはわからないが、人間ほどその恐怖に敏感な生物はいないであろう。

 先日凄まじい殺人事件が起き、未だ社会の動揺が収まらない。一切の同情の余地がない犯人に対し、少しでも擁護するような意見を言えば強い批判を受けるので慎重な言葉選びが必要であるが、この犯人も消滅の恐怖に怯えていたのかもしれないと思いもした。その反動で、自分の存在が記憶に残る究極の手段として無差別殺人を使ったとすれば、あまりにも虚しい。

 正直に言うと、おいら自身も、自分がちっぽけな存在で誰からも必要とされず自分の存在は無意味ではないか、と絶望的な気分になる時がときどきある。おいらには家族がいて働く場所もあるのに、なんて甘ったれなやつだと思われるだろう。おいらが絶望を感じたときは、心臓の音に耳を傾ける。弱々しく雑音も混ざったその音には、これまでおいらが関わった人々の想いがつまっており、おいらの人々への想いもこもっている。心臓は決して甘ったれることなく、自分の存在を証明し続けてくれている。