ある生物学者の不可思議な心臓

ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命について考える。

痛みでよみがえる記憶

今年の始めから、朝起きてから午前中の体調がすぐれない。その傾向は、地獄入院から退院した現在も続いている。大体は朝は寒気がして、寒気が酷いときには吐き気もある。体がだるく脈がやや速く息苦しい。朝食後少し横になって休むことも多いが、なかなか良くならない。しかし不思議なことに、いつもお昼ぐらいになると自然とよくなり楽になる。

 最近は、体に筋肉や脂肪がついてきたせいか、寒気は大分軽減された。しかし冬になり寒くなってきたためか、頭が重くなり軽く頭痛がするときがある。その頭痛で、子供頃は偏頭痛でかなり悩まされていた思い出がよみがえった。子供のときの偏頭痛はかなり激しい痛みで、痛みで目が覚めた。痛みのために強い吐き気を伴い、何度も吐いた。鎮痛薬を飲んでも吐いてしまううえ、乱用したために効かなくなった。吐くとほんの少しの間だけ痛みが和らぐので意識的に吐いたりもした。しかし、しばらくするとまた痛みがぶり返した。それを何度か繰り返しているうちにくたびれてうたた寝し、お昼頃に目覚めると痛みが治まっているのだった。そんわけで、偏頭痛があるときは学校を休んでいた。

 偏頭痛は12歳の時に受けたフォンタン手術の後がとくにひどかった。退院後半年近くほぼ連日のように頭痛に苦しんでいた。フォンタン循環に変わったことで体がまだなじでいなかったのかもしれない。時には痛みが強すぎて、緊急外来に駆け込んだりもしたが対処法がなかった。定期外来の診察のときに、頭痛のことを手術の執刀医に話したらなぜか怒られた。手術に問題があったかと指摘したように思われたのかもしれない。その医師にとっては、おいらの手術は完璧で芸術作品のようなものだったらしい。

 子供の頃の手術は、その当時心臓外科で日本で最高レベルと称されていたTJ病院で受けた。その医師は心臓外科のトップに位置していたので、いまでいうゴッドハンドを持つスーパードクターだった。せっかく神が完璧な手術したのに、偏頭痛を起こすのは、おいらが弱気になっているせいだ。もっとがんばれ、という激励の意味もこめて怒ったのだろう。幸いにして手術から一年くらい経過した頃には偏頭痛もほとんどなくなった。

 余談だが、今ではあり得ない話かもしれないが、診察のとき神の白衣のポケットはいつもお礼の包みでこんもり膨らんでいた。先天性疾患の子供が手術で命を救われたのだから、親としてはお礼をせずにいられなかったのだろう。おいらの親もおそらく渡したと思う。そんなのが当たり前の時代だった。

 手術後は、偏頭痛もすっかりなくなり心臓も体も抜群によくなり薬も一切飲まない黄金時代だった。しかし20数年が過ぎた頃、おいらにフォンタン術後症候群と呼ばれる新たな症状が発症した。おいらの第2の闘病時代の始まりである。第2闘病での主治医は、すぐにおいらにフォンタン再手術を勧めた。当初はその先生のいるNC病院で手術を受ける予定だったが、いろいろ日程が合わなかったりして古巣のTJ病院で受ける話に変更された。手術に先立って、TJ病院で一度カテーテル検査を受けることになった。20数年を経て久しぶりに訪れるTJ病院だった。

 TJ病院の外来棟はすっかり新設され、シティーホテルのロビーのようにきれいだった。しかし、入院病棟は子供の頃と全く変化がなかった。病室の各ベット脇にある木製棚は当時のままで、恐ろしく年期を感じさせた。壁に貼られた折り紙などは20数年前から張られていたのではないかと思うほど、色あせてホコリをかぶっていた。病棟は全体的に薄暗く、冷たく青白い蛍光灯の光に照らされていた。病棟にあるエコー検査室も一切変化がなく、壁や天井に浮き出たシミまでも鮮明に思い出されるような感じだった。横になって検査を受けていると実はまだ自分は子供のままで、大人までの今までの期間は全部夢だったのではないかとすら思えた。

 とはいえ、子供の頃とは違う点もあった。まず、同じ病室に入院していた人は皆大人だった(一人だけ高校生)。一人はおいらより年配で、医者にとめられているのにも関わらず、酒を飲んだり無茶をして入院をしていた。もう一人は、おいらと同じように大人になり心臓の調子が悪くなってしまった人だった。高校生はかなり元気そうだったが、やはり医者や看護師さんに隠れてお菓子やカップラーメンを食べたりして無茶していた。また、ときどき彼女が見舞いにきて、ベッドに潜っていちゃついたりしていた。病室の患者は皆、その音に聞き耳を立てていた。リーダー格の年配の方が、彼女がかえった後高校生に何をしていたかなどいろいろ聞いたりしていた。

 TJ病院の循環器内科には、かなりセクシーな女医さんもいた。一度先天性心疾患の学会にいったときその女医さんを見かけたが、背中がぱっくり割れたドレスを着ていた。当然若いドクターがたかっていた。入院したときも、おいらの担当ではなかったがその女医さんがいた。あるとき検査を受けていると、たまたまその女医さんも検査室にいて、パソコンに向かっていた。相変わらず米倉涼子のドクターXのような格好をしていて、太ももまで露出しながら足を組んで座っていた。おいらの担当医は若い男性ドクターだったので、すぐにそのトラップに引っかかり、おいらの検査など上の空で米倉涼子に声をかけていた。

 こうしてTJ病院で入院してカテーテル検査を受けたものの、その後さらに話が変わり、結局フォンタン再手術はNC病院で受けることになった。カテーテル検査のときは、ミスって穿刺部で大量の内出血をおこし、腹部に20cm以上もの内出血痕ができた。しばらくはめちゃめちゃ痛くて、退院後も何日か起き上がれないほどだった。ばかばかしいことばかりで、全く意味のない検査入院となったが、子供のときから変わることがない古びた病棟が現実感を薄めてくれて、今では夢のような思い出になっている。しかし朝頭痛がすると、その思い出が記憶された脳細胞が刺激されるのか、現実感を帯びて思い出されるのだった。