ある生物学者の不可思議な心臓

ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命について考える。

メスでは泣かないが雌では泣く

子供の頃のおいらは、どんなに痛い思いをしてもほぼ泣くことはなかった。注射をされても、メスで切りつけられても、手術後に体に刺さったドレーンを引き抜かれたり抜糸をされたり手術創を消毒されても、泣かなかった。母親の話では、物心つく前の幼児の頃からそうだったらしい。だから、この子は痛みを感じない子なのではと本気で心配したそうだ。

 痛みだけでなく、辛さや寂しさに対しても鈍感だった。入院中親が付き添いで寝泊まりしていなくても平気だった。感動的なドラマや映画を見たり、悲しい話を聞いても感情が動くことがなかった。高校生の時に親が離婚したが、その時でさえ、まるで他人事のように冷静だった。姉はそんなおいらの様子が信じられないようで、無感情で冷たい人間に思われていた。

 しかし実際は、痛みや辛さを感じていないわけではなかった。泣くことを恐れていたというか、泣くことが最後の砦のように感じ、耐えていたのだった。一度泣いてしまうと、その先に襲ってくる痛みや辛さに耐えられなくなりそうで怖かった。この程度の痛みなら、今はまだ泣くところじゃない。ここで泣いたらこの先ずっと泣くことになってしまう。だから、泣くという最終兵器はずっと取っておいた。それは本当に本当にどうしようもなく辛くて耐えられなくなった時に使うべきものだった。

 そんな無感情に育ったおいらは、当然ながら人を真剣に好きになることもなかった。可愛いな、気になるなと思った人がいなかったわけではない。だからと言って、告白したりアプローチをしたりすることはなく、誰にも知られないまま片思いで過ぎていった。それに恋愛など、自分には全く無縁の世界に思っていた。容姿は決してよくはなかったし、運動もできないし、やはり病気のことは少なからずコンプレックスに感じていた。恋愛なんてイカした奴らがするものだ、おいらは人並みの幸せな人生など送れないのだ、とはじめから諦めてますます無感情に浸っていった。むしろそれがクールでかっこいいのだとすら思っていた。

 しかしそんなおいらにもようやく春が訪れた。そしてそれを転機においらの感情が解放され、たがが外れたように涙が溢れ出るようになった。恋愛がこれほどまでに感情をコントロールできなくするものだとは、想像していなかった。恋人を得た時は本当にバカバカしいほど自分が世界の中心にいるように感じたし、恋人を失った時は本当に窒息しそうなほど悲しみの海に溺れかけた。涙は、濁流のような感情を一時的に鎮めてくれる唯一の手段だった。そして不思議と泣いた後は、生きている実感や命の温かみを体の芯の部分でポッと感じることができた。それが幸せの正体なんだなと思った。

 今の妻と出会い、結婚してからはさらにたくさん泣いた。時には嬉しさで、時には悲しくて。そのいずれも、最後には体の芯にポッと温かみを感じることができた。だから、これからももっとおいらを切りつけておくれ。