ある生物学者の不可思議な心臓

ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命について考える。

多様性という試練

人類は、これまで生物が生み出す多様性に散々悩まされてきた。あえて強引に言ってしまうならば、人類史上に起きた様々な問題は、いずれも多様性が発端になっていると言えなくもない。例えば、おいら達が抱えている先天性心疾患という病気。もし、全ての人間が皆正常な心臓を持って生まれてきていたならば、人類は先天性心疾患に悩むことはなかった。でも現実はそうではなく、およそ1%の割合で先天性心疾患を持つ子供が生まれ続けている。そして、先天性心疾患にも多種多様な種類があり、それゆえに心疾患の治療を複雑かつ難しくしている。

 最近はだいぶ認知されてきたLGBTも性の嗜好に関わる多様性の一つである。もし、全ての男性が女性を好み、全ての女性が男性を好んだなら、LGBTという言葉すら生まれず、そこから生じる様々な差別や偏見などの問題は生じなかったであろう。しかし、それも現実はそうならなかった。そもそも性別自体が生物が生み出した多様性の一つであり、性別によってもやはり差別等の問題が生じている。

 性や病気に関わることだけではない。人種、文化、性格、体型、知能など人間にみられるあらゆる多様性には、何らかの問題が発生している。むしろ、多様性のない特徴はなく、多様性があるがゆえにその差を巡って人々が争っている。どうして、全ての人が均一に同じにならないのだろうか。そこには生物に課せられた宿命がある。

 生物は、生物進化の過程で多様性が増大する方向に突き進んできた。生命史上、生物種の大量絶滅によって一時的に多様性が減少することは度々あったものの、絶滅の後にはリバウンドするかのように、爆発的に生物の多様化が進んだ。なぜ生物の多様性は増大するのかは、生物学者にとって永遠の謎と言える深いテーマであるが、生物が地球上で生き残るために多様性が不可欠であることは疑う余地はないだろう。今人類を悩ませている新型コロナウイルスのような病原体に対しても、多様性がなければ克服できない。病原体は、宿主の個体を時に死に至らしめるが、やがて宿主の種の中から病原体抵抗性の遺伝子を持った個体が生まれてくる。もしそうした変異個体が現れなければ、宿主の種は絶滅するリスクがある(*1)。

 生物が生き残る上で多様性が必要不可欠であるならば、なぜ人類はその多様性に時に振り回され、争うのだろうか。本当は、人類に見られるあらゆる多様性も、人類が生き残る上で不可欠なものなのかもしれないのだ。先天性心疾患もその一つなのだろうか。誤解のないように言うならば、先天性心疾患は、人類を含む哺乳類が極めて機能性の高い2心房2心室性の心臓を獲得したがゆえの宿命だったのではないだろうか(*2)。もし複雑な構造の心臓を持たなければ、魚や爬虫類と同様にはるかに死亡率が高く、生きられる環境が限られ、そして絶滅するリスクも高かったはずだ。大量の血液を必要とする脳を発達することもできず、結果科学も医学も生まれなかった。

 とはいえ、先天性心疾患を肯定的に捉えることは極めて難しい。実際それが原因で亡くなられる人も多く、おいら自身散々苦しんで辛い経験をしてきた。でも多様性の負の面だけを見ていては、人類が抱える問題や悩みはなくならない。多様性には正と負の両面があり、正の面をどう生かすかが人類に課せられた試練なのだと思う。だからおいらは先天性心疾患を習熟したフォンタンマスターを目指すのだ。

 

*1 現実には、病気抵抗性を持つ個体が誕生するのを待っているわけではなく、すでにその種の中に膨大な遺伝的多様性が蓄積されており、その中に抵抗性を持つ個体が存在している。あるいは、免疫細胞自体が多様な抗原に対抗できるような性質を持っている。

 新型コロナウイルスに対しては、治療薬やワクチン開発(ウイルスタンパクをコードするDNA配列を作成し、その配列からウイルス抗原を大量に生産する)の研究が現在進められている。

*2 2心房2心室性の心臓でなぜ先天性心疾患が生じるのかはわからないが、構造が複雑になる程、発生過程での異常が起こりやすい可能性がある。またこの説明では、先天性心疾患は心臓の複雑化に伴う副産物でできた多様性であり、生物が地球上で生き残るために不可欠な多様性には当てはまらなくなる。実際そうなのかもしれないが、おいらは、全ての多様性には意義があるという前提に立って先天性心疾患を理解したいのだ。