ある生物学者の不可思議な心臓

ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命について考える。

ファルコンに乗りたい

虚無感に満ちた長い3連休がようやく終わろうとしている。最初にお断りしておくと、以下に書くことは、おいらのしょうもない嘆きや愚痴であり、気持ちの整理ができないまま連休が終わろうとしているため、自分自身の記録のために書いておくことにしたものである。とても、人様に読んでいただくようなものではないのだが、おいらも煩悩に満ちた人間。誰かにわかってもらいたいという甘えがあるのだ。

 虚無感に満たされたきっかけは、息子との関係にある。連休中おいらは、ずっと息子の行動にイライラしてしまっていた。おいらの住む南の島では先週から一斉休校が解除され、今時の男子中学生には珍しく学校が大好きな息子は、嬉々として登校していった。一斉休校中毎日一人で留守番する息子は、おいらも胸が苦しくなるほど寂しそうにしていた。それだけに、ようやく学校が始まり生き生きと学校に通う息子の姿は、中学生男子であることを差し引いても、愛おしく可愛らしく輝いて見えた。

 ところが、3連休に入った途端に息子は怠惰な生活を送り始めた。彼の仕事である皿洗いなどの家事をいつまでたってもやらず、夜は遅くまでスマホをしたりテレビを見たりして夜更かしし、当然朝は起きられず、朝起きたらまたすぐスマホやテレビに向かった。おいらが天気もいいし出かけようかと提案しても気乗りをしない返事をして重い腰をあげることはなく、結局毎日何時間も友達とゲーム三昧だった。そのゲームも今は友達の家に行ってみんなでワイワイやるのではなく、それぞれが自宅でネットに繋げ、ゲームの世界の中で出会うようだった。息子の1日の大半は、スマホ、テレビ、ゲームに注がれ、今彼の目の前にある現実の世界からどんどん心が離れていくように見えた。あなたの目の前にはおいらがいるよ。美味しいご飯もあるよ。外は暖かく春の陽気に包まれているよ。友達も実物がちゃんといるよ。それらのどれも彼の心には届かなかった。つい先日生き生きとした姿を見せた息子がもうどこにも見当たらず、虚構の世界に迷い込んでしまっていた。

 それならば、おいらが叱ってゲームやスマホやテレビを辞めさせればよいのだろう。もちろんそうするときもあるが、それはそれでおいら自身が辛くなってくるのだった。それに、ただ強制的にゲームなどを制限したところで、息子を現実に引き戻せなそうに思えた。息子にとってはゲームの中の世界の方が刺激的で面白い現実なのかもしれないのだ。息子を引き戻すには、ゲームの世界より面白い現実を見せるしかない。でもそれはおいらが見せることではなく、息子自身で見つけることのようにも思える。今おいらができることは、現実の世界で淡々と確実に生きている姿を見せることだろう。

 そういうおいらも、虚構の世界にずるずると引きずり込まれつつあった。2月から、心臓くんがつぶやくという怪しい設定でツイッターを始めてみた。ブログ記事で書くには短すぎる心臓エピソードを軽くつぶやくという目的と、同じ病気を持つ人々の言葉を聞きたい、あわよくば交流したいという思いがあった。しかしいざ始めると、ツイッターに自分自身が縛られていることに気づき始めた。本当は何も言いたいことがないのに、無理につぶやいている気がする。他の人のツイートがつい気になってしまい、何度も見たり考えたりしまう。それは「同じ病気を持つ人々の言葉を聞きたい」という目的には適っているが、一方で自分自身をどこか見失っている気がするのだ。そしてまた、交流したいという目的もほとんど叶えられていなかった。フォロワー、いいね、リツイートといった悪魔の数字に翻弄され、むしろ自分の孤独感がより明確に強調されていくように思えた(*1)。

 息子の目にも映らず、広大なネットの世界の中でもほとんど誰にも気づかれない。虚構の世界に迷い込んだのはおいらなのだ。おいら自身が希望や目的や自分の居場所を見失っていたのだ。連休の最後は現実の世界に戻ろうと、ハイゼントラを打ちながら小一時間息子と話をした。生きるための点滴と生きるための会話。どちらも明日へとつながるささやかな希望だ。生きる希望を感じた時、現実は蘇った。

 

*1 twitterを否定しているわけでなく、おいら自身がうまく使えていないだけなので、twitterを利用し楽しんでいる方はどうか気を悪くしないでほしい。