ある生物学者の不可思議な心臓

ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命について考える。

血の証明

最近、暗いネガティブ思考の話が続いてしまっている。そんな話は誰も聞きたくないし、おいら自身ますます気が滅入るばかりだ。それにこのブログの本来の目的は、闘病体験を面白おかしく書くことでもあった。そして病気を持つ生き方も捨てたもんじゃないぜと希望を持てるような内容を書きたいのだ。その初心に戻って、今回は面白い小話をしよう。と言いたいところだが、今回もまた面白いとは程遠い話になりそうだ。しかしこの話も心疾患患者だからこそ経験しうる貴重な体験だったので、お話ししたい。

 おいらにまたも不整脈が再発した。今年の5月から7月に多発して以来の再発だった。7月の時は、ベプリコールという抗不整脈を増量しなんとか静まった。それからわずか4ヶ月程の儚い期間しか持たなかった。今度はアスペノンという薬が追加された。しかし、一度発生した不整脈は止まらず、今回もまた電気ショックで止めることになった。

 電気ショックはいつも病院の救急センターで行なっている。おそらく、救急センターならすぐにベッドが確保でき、心電図、超音波エコー、心電図モニター、除細動器、等の諸々の処置器具が揃っているからであろう。救急センターなので、当然ながら様々な急患が次々と運ばれてくる。南の島という土地柄か、海で溺れた人、外国の観光客、といった人が運ばれることも多い。怪我や病気の種類はどうであれ、やはりどの患者も苦しそうであり、中にはかなり深刻そうな患者さんも運ばれてくる。そんな中、おいらはさほど深刻でなく、自分の不整脈の音を携帯で録音したり本を読んだりと、なんだかいつも場違いな存在に感じてしまう。

 先日おいらが電気ショックを受けた時も、おいらの隣のベッドにかなり深刻な患者さんが救急車で運ばれてきた。カーテン越しなので詳しい容態はわからないが、おそらく5、6名の医療スタッフが慌ただしくその患者さんの治療にあたっているようだった。しばらくは、あまり緊迫した様子はなく、おいらも横のベッドで優雅に本などを読んで電気ショックの準備を待っていた。が、突然患者の容態が急変したようで、「あ!目がおかしい!」と男性医師が叫ぶと、一気に緊迫した雰囲気に包まれた。次々と指示が飛び交い、それに応じて看護師さんが走り回ってあちこちから治療器具を持ってきていた。おいらも、本を読んでいる気分どころではなくなり、緊張で不整脈はさらに乱れていった。

 いよいよ容態が危なくなったのか、開胸セットと書かれた大きなプラスチックタッパまで運び込まれた。おいらは恐ろしくなり、このまま隣のベッドにいてもいいのか不安でたまらなくなった。最悪の場合、死の瞬間を間近で立ち会うことになるかもしれない、そんなことすらよぎった。せめて邪魔にならないよう、この場から離れたかった。でも一方で、同じ患者側の立場として、最期の瞬間までそばにいて見届ける義務があるのではないかとも思いもした。それは、将来自分の身にも起こりうる瞬間であり、自分が最後をどのようにむかえるべきかをよく考える必要があるからだ。

 その後、その患者さんは別の場所に運ばれていき、無事助かったのかどうかは分からずじまいだった。移動される時、隙間から見えた患者さんのベッドは血で染まっていた。根拠は何もないが、無事助かったと信じている。ようやくおいらの準備が整った。なぜか、先ほどの患者さんがいた位置に、ベッドごと移動させられた。なんだか、生か死かの判決の順番が回ってきたかのようで、これから行われる電気ショックにいつになく緊張してきた。

 目が醒めると処置が終わって2時間ほどたっていた。鎮静剤は一瞬で効き気絶するように意識を失ったようだ。目が覚めてもまだ意識ははっきりとせず、どうやら医師や看護師さんと会話したり、会計を済ませたり、家族にメールしたりしたようだが、ほとんど覚えていなかった。今までだったら、時間が経つごとに意識がはっきりとして眠気がなくなるのだが、この日はいつまでたっても眠くて仕方がなく朦朧としていた。朦朧とした意識の中は夢の世界のようで現実味がなく、自分が生きているのか死んでいるのかもよくわからない気分だった。ただなぜかやたらと寒気がした。家に帰っても強い眠気と寒気は続き、風呂で温まり、暖かいうどん鍋を食べたがそれでも収まらず、何重にも厚着をして羽毛布団にくるまって眠りについた。

 夜中に目が醒めた。鼻の中がムズムズして、ほじると鼻血が出ていた。喉が渇き水を一杯飲むと、喉の奥に垂れていた鼻血から強烈な血生臭い味が口の中に広がり、それとともに全身に流れる血の温もりが蘇ってきた。それは、おいらが生きていることの何よりの証だった。

疲れない生き方は、むしろ疲れる。

先天性心疾患の性質上、おいらは物心つく前から無意識のうちに、なるべく疲れないように人付き合いを避けて生きてきたようなところがある。幼い頃は、大勢の友達とわあわあ騒いで遊ぶより、一人か二人の友達とひっそりと遊ぶ方が好きだった。たまに加減を忘れて友達とはしゃいで遊んでしまうと、後で必ず凄まじい息苦しさと頭痛で、ぐったりと倒れ込んでしまうのだった。

 子供の頃のそうした経験から、成人してからも友人との無理な付き合いを避けるようになっていった。心臓の調子が最も良かった20代の黄金期ですら、友人と徹夜して話し込んだり、家に誰かを泊めることはなるべく避けてきた。夜一人でゆっくり休めないと次の日だいたい頭が痛くなって体調を崩すのだった。

 そんなわけで、人付き合いが年々億劫になり、大学を卒業してからは友人関係がばったりと切れていった。年賀状のやりとりですら疲れるようになり、自分から送る人もいなくなった。でもそれは、疲れない生き方を実践する上でやむを得ないことでもあり、実際とても楽だった。他人のペースに合わせて行動するのは、おいらにはかなり疲れることなのだ。このブログで本名を明かさず、匿名にしているのもそうした理由もある。名前を明かせば誰かから連絡がくる可能性があり、それはおいらにとってとても疲れることなのだ。

 だからおいらの人付き合いは、今は職場以外ではほぼ家族だけしかいない。その家族も最近はそれぞれやりたいことを別々にやるようになり、家族揃ってお出かけしたり何かすることはほとんどなくなった。おいらは一人趣味もなく会う人もおらず、休日はずっと家にこもっていることが多くなった。せいぜい、近所のスーパーなどに一人で買い出しに出かけたり、ショッピングモールをぶらぶらする程度しかしない。そんな話を人にすると、なんて贅沢な時間なのだと羨ましがられる。多くの人は休日であっても、子供の行事や、ママ友や親戚やご近所との付き合い、親の介護などともかく忙しいようである。おいらにはそうした人付き合いが何一つない。それは肉体的には疲れないし気疲れしなくて済むが、休日の終わりには必ず凄まじい虚しさと心の痛みで、ぐったりしてしまうのだった。

 疲れない生き方を目指し、人付き合いを極端に避けた結果、おいらの今の生き方は虚しさで疲弊しきっている。昨晩は、水に溺れたかのように息苦しくて夜中に目が覚めた。しばらく座って深呼吸したら少し楽になったものの、いつかそのまま死ぬのではなないかと不安になった。では、真に疲れない生き方とはどうすればいいのだろうか。心臓が穏やかになっていく人付き合いがあればいい。でもそんなものはこの世にはないのだ。人付き合いをすれば必ず時にぶつかり、すれ違い、一方的になり、重くなる。決して自分の都合のいい関係だけを保てる訳ではない。それはただの自分勝手であり自己中でしかない。だから、真に疲れない生き方を実現するためには、疲れることを避けてはいけないのかもしれない。

もしもフォンタン患者が中華料理人になったら

すでに何度もお話ししたが、おいらはフォンタン術後症候群によって、様々な食事制限がかかっている。水分制限や塩分制限は当然ながら、脂肪や辛味も制限が必要である。これらのどれか一つでも怠って制限なく摂取すると、ほぼ確実に浮腫んだり息苦しくなったり蛋白漏出性胃腸症(PLE)が悪化したりする。特に危険なのは脂肪で、以前クリームとチョコとバターをたっぷり使ったドーナツを食べたら、その後1か月入院する羽目になった。そんなわけで、脂肪を特に気をつけた食生活を送っている。

 しかしながら、塩分と脂肪分は料理を美味しくする最も重要な要素である。日本料理が得意とする「うま味」は、塩分や脂肪分とは違った美味しさの要素ではあるが、塩と脂肪が加わらなければ、どこか物足りなさが否めない。腕のいい料理人であれば、出汁だけでも極上の味を引き出せるのかもしれない。しかし、それには熟練の技が必要であり、素人が簡単に到達できるものではない。その点、塩と脂肪ははるかに簡単に美味しさを得ることができる。白ご飯に塩を振りかけただけでも美味しいし、キュウリやキャベツにごま油と醤油を和えれば立派なおつまみになる。塩と脂肪は、人間にとって非常にわかりやすい美味しさの要素なのである。

 そんなわけで、外食の料理の多くは塩と脂肪が大量に使われている。中華料理、イタリア料理、ファストフードなどは、一見水分の汁かと見間違うほど油まみれのものもあったりする。当然おいらはそんな料理を食べることはできない。食べればその代償は避けられず、確実に胃腸の調子が悪くなってしまう。でも本当は、おいらも油まみれの味の濃い料理が食べたい。特に中華料理が好きで、ラーメンの汁を最後まで飲み干したり、赤く染まった油膜がびったりはった麻婆豆腐を一皿全部食べてみたいのだ。でも一番好きなのは天津飯天津飯、ラーメン、餃子のセットとか食べれたら幸せの頂点に達しそうである。

 その願いを叶えられる唯一の方法がある。おいら自身がフォンタン患者でも安心して美味しく食べられる低塩分、低脂肪の中華料理を作ることだ。もちろんそれは、女性が喜ぶ野菜多めのヘルシー系の類ではなく、おっさんが好きな王道のコテコテ中華料理である。味も香りもうま味も通常の調理法のものと一切遜色のなく、健常者が食べても十分美味しい料理。材料も同じ。さらに言えば、添加物や化学調味料を使わず、食べた後も味がいつまでも口の中にしつこく残らず、水をたくさん飲まなくて済む料理。果たしてそんな料理は実現可能なのだろうか。これはもしかすると、過去に前例のない唯一無二の中華料理になるかもしれない。なんてチャレンジングな夢なんだ。

 最近、研究職の夢に絶望を感じ諦めかけている。このまま研究職の夢を追い続けるのか、今の職の任期が切れたら料理人になる夢に賭けるのか、真面目に悩み始めている。

超高価な薬を自己負担なく飲んでいることの説明責任

明日は、2週に一度のハイゼントラ在宅点滴の日。以前のように、点滴を打ちながらライブでブログ記事を書こうと思っていた。前回は、点滴を打っている1時間内に書ききれなかったので、明日の記事はある程度ストーリーも思い描き、記事のタイトルも「ハイゼントラ vs サムスカ」と決めていた。なかなか面白い話になりそうだなと自分でも楽しみにしていたのだが、なんだか急にそんなふざけた話を書く気分でなくなってしまった。今は、怒りと苛立ち、愚かさや情けなさも混ざった、とてつもなくモヤモヤした気分に包まれてしまっていた。というわけで、「ハイゼントラ vs サムスカ」は気分がすっきりした時にまた書くとして、今回はモヤモヤ気分の原因となった「税金」についてお話ししたい。

 以前にも何度か書いたが、おいらはとんでもない税金食い虫である。自分が払った税金の何倍、いや何十倍もこれまでに消費している。薬だけで毎日1万円近くかかっており、それに検査代、診察代、入院費、手術代などをあわせれば、これまでの人生で億単位の医療費をおいらは消費してきた。そしてその大半は医療費受給制度のおかげで、おいら自身が負担することなく税金によって支出されている。例えば、最初に書こうとしたハイゼントラとサムスカは特に薬価の高い薬品である。ハイゼントラは1瓶約33000円、サムスカは一錠1300円(7.5mg錠の場合)。おいらはハイゼントラを月に2〜3本、サムスカは毎日3錠使っている。この2種類の薬だけで月20万円以上の恐ろしい金額がかかってしまうのだ。だから、正直罪悪感を感じてしまう時がある。それが理由ではないが、先月からそのサムスカを一錠減らすことになった。おかげで気持ちは少し軽くなったかもしれないが、利尿効果が弱まり水分が溜まって体重は重くなった。

 高価な薬を飲んでいるからと、本来罪悪感を感じる必要はない。でも気持ちがネガティブな時には、高価な薬を飲み続けてまでおいらには生きる価値があるのだろうかとすら考えてしまったりもする。理屈では、そんな考えは完全に間違っているとわかっている。人の命や価値は、金額で評価できるものではない。そう思っているのに、心の奥底では金額で自分自身を評価してしまっていることが愚かで情けなかった。では、人は何で評価すれば良いのだろうか。そもそも人を何かで評価すること自体間違っていないだろうか。世の中に貢献した人は評価されるべきだろうか。ではおいらは何かに貢献しただろうか。そんなことを考えるとまたさらにネガティブな気分のループにはまっていくのだった。

 そんな時、テレビやネットを見ていると、世の中に貢献した「功労者」と呼ばれる人々を、湯水のようにじゃぶじゃぶ税金を使って接待している権力者の姿が映ってきた。そうかぁ。おいらにも税金がじゃぶじゃぶ使われているから、何かわからないけどおいらも世の中に貢献した「功労者」なんだな。そう考えたら、さっきまで感じていたモヤモヤ気分が少しスッキリしたぞ。よーし。明日からサムスカやハイゼントラを飲めや打たれやの大宴会だ。と、虚しい皮肉をつぶやいたところで、全然スッキリしないどころか、ますますモヤモヤしてくるよ。誰かおいらをすっきりさせておくれ。  

フォンタン手術後の肝線維症は普遍的かつ、時間経過と共に重症化する。

前回に引き続き、フォンタン患者のうっ血性肝障害に関する論文を紹介したい。非常に衝撃的な内容のため、紹介しておきながら正直読むことをお勧めしない。でも、そのリスクを知ることは、今後の予防法や治療法について考える上でとても重要だとおいらは思う。

 

Goldberg, D.J. et al. (2017) Hepatic fibrosis is universal following fontan operation, and severity is associated with time from surgery: A liver biopsy and hemodynamic study. Journal of the American Heart Association 6: e004809.

 

背景:うっ血性肝障害はフォンタン術の合併症の一つであるが、その発症率と危険因子に関するデータが不足している。

方法:平均年齢17.3±4.5歳の患者67名(フォンタン術後平均14.9±4.5年)に対し、肝生検と心臓カテーテル検査が行われた。肝線維化は、コラーゲン沈着の程度(%:生検を染色して測る)で定量化した。被験者の生検は、健常な対照群からの染色標本と比較した。患者の特徴、心エコー検査所見、および血行動態測定を危険因子として分析した。

結果:沈着の程度は、対照の2.6%に対しフォンタン患者21.6%と著しく高かった。フォンタン術後の経過時間と沈着の程度との間には、有意な相関(r = 0.33)が見られたが、血清肝臓酵素、血小板数、下大静脈圧は相関しなかった。また、心室の形態(左室型か右室型か)や房室弁不全の重症度も、沈着の程度に差はなかった。

結論:これらの結果は、肝線維症がフォンタン循環にとって普遍的特徴であり、線維化の重症度が時間とともに増加することを示している。

 

おいらの解釈と感想

極めてシンプルな結果と結論で、それゆえになおさら結果が衝撃的であった。フォンタン患者はうっ血性肝障害が避けられないと言わんばかりの論文である。確かに、肝臓はその構造と性質上、フォンタン循環に伴う静脈圧の上昇に対して極めて脆弱な臓器と言える。肝臓には、胃や腸などの消化器官からの静脈血が門脈を通して直接流れ込んでくる。だから静脈圧が高くなれば、必然的に肝臓にもその負担が掛かってしまう。

 とはいえ、この論文の被験者はたった67名で、これをもって全てのフォンタン患者に当てはまる一般論になるとは言えない。フォンタン循環であっても静脈圧が上がらない患者もいるであろう。それにもし肝線維化しても、ほとんど無症状だそうだ。実際おいらも5年ほど前に肝線維化が発覚したが、今の所自覚症状はない。

 でも、そんな風に言い訳して見ぬふりをしていい訳がない。おいらはこれまで腹部エコーでしか線維化の状態を診ていないため、本当はこの論文のように肝生検を受けてより正確な診断を知る必要がある。頑張って肝生検受けようかな。でも、痛そうで怖いな。冒頭で、今後の予防法や治療法について考える上でとても重要だ、などと偉そうなこと言っておきながら、結局おいら自身が読んだことを後悔しているね。

君の未来

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君は何を感じているの。
力が入ってじっと動かない体は、
硬直したようでもあり、何かを全身で感じているようだ。
君が感じているのは生き物の命かな。
シロツメクサの匂いややわらかな草の手触りは、君の心を刺激しているね。
それは生涯君を虜にするよ。
命の謎が解けて感動する時だってある。
どれもこれも面白いよね。不思議だよね。

 

君は何を考えているの。
そっと握りしめた拳は、
弱々しくもあり、何かを表しているようだ。
君が考えているのは心臓のことかな。
君の心臓は他の人とは違う形や動きをしているね。
耳を当てれば変な音もするよ。どっきんと強く打つ時だってある。
どこでもいつも早いよね。変だよね。

 

君は何を見つめているの。
口をきつく結んで遠くを見つめる表情は、
不安そうでもあり、何かを覚悟しているようだ。
君が見ているのは未来のことかな。
これから君は辛いこと痛いことをたくさん経験しないといけないね。
手術や入院を何度もするよ。飲んだり食べたりできない時だってある。
どれもこれも怖いよね。嫌だよね。

 

でも大丈夫。君は全部乗り越えられるよ。
君の未来は辛いことばかりじゃない。
君は命の本質に触れられるよ。君は心臓と会話ができるよ。
君は辛い体験も笑って話せるよ。

 

そんな未来の話より、今本当に君が感じて考えて見つめているものは、
食べ物のことだよね。君は食いしん坊だからね。
お母さんが持っているおやつを早く食べたいよね。

メスでは泣かないが雌では泣く

子供の頃のおいらは、どんなに痛い思いをしてもほぼ泣くことはなかった。注射をされても、メスで切りつけられても、手術後に体に刺さったドレーンを引き抜かれたり抜糸をされたり手術創を消毒されても、泣かなかった。母親の話では、物心つく前の幼児の頃からそうだったらしい。だから、この子は痛みを感じない子なのではと本気で心配したそうだ。

 痛みだけでなく、辛さや寂しさに対しても鈍感だった。入院中親が付き添いで寝泊まりしていなくても平気だった。感動的なドラマや映画を見たり、悲しい話を聞いても感情が動くことがなかった。高校生の時に親が離婚したが、その時でさえ、まるで他人事のように冷静だった。姉はそんなおいらの様子が信じられないようで、無感情で冷たい人間に思われていた。

 しかし実際は、痛みや辛さを感じていないわけではなかった。泣くことを恐れていたというか、泣くことが最後の砦のように感じ、耐えていたのだった。一度泣いてしまうと、その先に襲ってくる痛みや辛さに耐えられなくなりそうで怖かった。この程度の痛みなら、今はまだ泣くところじゃない。ここで泣いたらこの先ずっと泣くことになってしまう。だから、泣くという最終兵器はずっと取っておいた。それは本当に本当にどうしようもなく辛くて耐えられなくなった時に使うべきものだった。

 そんな無感情に育ったおいらは、当然ながら人を真剣に好きになることもなかった。可愛いな、気になるなと思った人がいなかったわけではない。だからと言って、告白したりアプローチをしたりすることはなく、誰にも知られないまま片思いで過ぎていった。それに恋愛など、自分には全く無縁の世界に思っていた。容姿は決してよくはなかったし、運動もできないし、やはり病気のことは少なからずコンプレックスに感じていた。恋愛なんてイカした奴らがするものだ、おいらは人並みの幸せな人生など送れないのだ、とはじめから諦めてますます無感情に浸っていった。むしろそれがクールでかっこいいのだとすら思っていた。

 しかしそんなおいらにもようやく春が訪れた。そしてそれを転機においらの感情が解放され、たがが外れたように涙が溢れ出るようになった。恋愛がこれほどまでに感情をコントロールできなくするものだとは、想像していなかった。恋人を得た時は本当にバカバカしいほど自分が世界の中心にいるように感じたし、恋人を失った時は本当に窒息しそうなほど悲しみの海に溺れかけた。涙は、濁流のような感情を一時的に鎮めてくれる唯一の手段だった。そして不思議と泣いた後は、生きている実感や命の温かみを体の芯の部分でポッと感じることができた。それが幸せの正体なんだなと思った。

 今の妻と出会い、結婚してからはさらにたくさん泣いた。時には嬉しさで、時には悲しくて。そのいずれも、最後には体の芯にポッと温かみを感じることができた。だから、これからももっとおいらを切りつけておくれ。