ある生物学者の不可思議な心臓

ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命について考える。

May the Fontan be with you

クリスマスも終わり、今年もあとわずかとなった。今年は正直暗い年だった。おいら個人的な面では、不整脈がたびたび発生し体調が安定せず、研究職の夢を諦めかけ、科学雑誌に投稿した論文は雑誌編集者から聞いたことがない理不尽な扱いを受け、職場はブラックになりつつあり、今の仕事にやりがいを失い、さらに独りの時間が増え寂しさに惑わされていた。ネガティブ思考に陥り、悪い面ばかり意識が向いていただけかもしれないが、辛い一年だった。そしてそれに追い打ちをかけるように、社会的にも暗い不気味な影がこの国を覆い始めているように感じていた。今の政治状況は、吐き気がするほどあまりにひどく、不整脈が発生するのもそのストレスが一因になっていてもおかしくなかった。

 来年は明るい兆しが見えるだろうか。政治状況に関しては、ようやく現政権の暗黒面が明るみになりつつあり、もしかすると来年早々には政権終焉を迎えるかもしれない。しかし、もし政権が存続し続ければ、この国が終焉を迎えるであろう。権力者が国を完全に支配すれば、人々の人権と命はないがしろにされていく。そうした状況になったとき、歴史を振り返れば例外なく、おいらのような障害者を含む社会的弱者が真っ先に差別と迫害の対象になる。そして行き着く先は、命そのものが奪われる。現政権が続けば、近い将来必ず何かしら目に見える形で差別や迫害が現れるとおいらは覚悟している。

 しかし、命は本来決してないがしろにできないものである。生物学を深く学ぶほど、命の重みや美しさを否定できなくなる。一つの生命がこの地球上に誕生することが、どれほど神秘的なことであろうか。それは長い生命史の中で、数えきれないほどの偶然と必然が組み合わさり誕生したまさに奇跡の産物なのだ。一人の人間が誕生し生きていく間には、約2万の遺伝子が絶妙なタイミングとバランスで相互に連携しながら発現する。なぜどのようにそのような巧妙なシステムが創造できたのか。それはまだ誰にもわからないが、あまりに美しいことは誰にでもわかる。権力者は美しい国などと簡単にのたまうが、美しさはそう容易に目指せるものでも創造できるものではない。真の美しさは、生命のようなものであるはずだ。

 おいらは障害を持って生まれたことで、生命の美しさに生物学的側面以外からも少し近づけることができた。それはとても幸運なことに思う。物事を複数の面から理解することは、より真理に近づける可能性があるからだ。暗い気分を来年に引きずり続けていてはいけない。来年末には、はやぶさ2が生命誕生の謎に近づく決定的証拠を持ち帰ってくれるかもしれない。おいらも生物学と闘病体験を組み合わせて、おいら独自の視点で生命の謎に近づく研究をすればいいのだ。おいらが解明する生命の謎は、はやぶさ2よりはるかにちっぽけなことだろう。でも、権力者が目指す美しさより、確実に真の美しさに近づける自信はある。

 その前に、スターウォーズ最終章を鑑賞してこの一年の暗黒面から脱しよう。フォンタンと共にあらんことを。