ある生物学者の不可思議な心臓

ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命について考える。

大規模データの分析でわかった現代の成人先天性心疾患患者の生存の見通しと死因

前回の記事では、先天性心疾患患者へのウイルス感染症の脅威についてはわからないと述べた。しかし、わからないと言ってそのまま調べずにいるのは、3流研究者とはいえ研究者の名が廃るので、この連休を使って文献を調べてみることにした。今日はその成果を紹介したいと言いたいところだが、残念ながらおいらの力不足により、人様にお話できるほど整理することができなかった。ざっとわかったのは、SARSなどの従来のコロナウイルスや、RSウイルス(乳幼児が罹りやすい呼吸器感染症を引き起こすウイルス)、インフルエンザウイルス、アデノウイルス(風邪症状を起こす一般的ウイルス)、など呼吸器疾患を起こす感染症はいずれも、心臓疾患を持つ人ほど重症化しやすく、致死率も高くなるということだ。しかし、おいらが特に知りたかったことである「心疾患の病態によって重症化の度合いや致死率がどう変わるか」について記載している文献は見つからなかった。

 そんな中、感染症とはあまり関係がないが、成人先天性心疾患患者の余命と死因を極めて詳細に分析した大変興味深い文献が見つかった。本来の感染症の代わりにはならないが、今日はその論文を紹介したい。

 

Diller GP. et al. (2015) Survival prospects and circumstances of death in contemporary adult congenital heart disease patients under follow-up at a Large tertiary centre. Circulation 132: 2118–2125. *1  

背景:先天性心疾患患者の平均余命は過去数十年で劇的に改善され、実際現在では患者の90%以上が成人まで生存できるようになった。しかしながら、そうした医学的進歩にも関わらず、病状が悪化し長期生存率が低下する傾向がある。本研究では、ロンドンのロイヤルブロンプトン病院において診察されていた全成人先天性心疾患患者のデータを用いて、患者の生存率と死因を明らかにした。

方法と結果:1991年から2013年の間に、当施設でフォローアップ中の6969人の成人先天性心疾患患者(29.9±15.4歳)を対象にした。患者は病態によってグループ分けした。生存率はイギリスの一般的人口の生存率と比較した。追跡期間は約9.1年(中央値)で、その間に524人の患者が死亡した。主要な死因は、慢性心不全(42%)、肺炎(10%)、心臓突然死(7%)、癌(6%)、および出血(5%)で、周術期死亡率は比較的低かった。単純心疾患患者は、一般人口と同様の死亡率を示したが、アイゼンメンジャー症候群、複雑心疾患、フォンタン循環患者の長期生存率ははるかに低かった。患者の年齢が上がると心臓が原因の死亡は減少したが、癌や肺炎などの心臓以外の原因で死亡する患者の割合は増加した。

結論:成人先天性心疾患患者は、年齢が上がるにつれ一般人口と比較して死亡率が増加する傾向があることが示された。

 

 上記の要約では全体の傾向しか書いていないが、実際の論文中では個別の病態(心房中隔欠損、動脈管開存症心室中隔欠損、マルファン症候群、弁膜症、大動脈縮窄、エブスタイン、ファロー四徴症、大動脈転位、右心室体循環、アイゼンメンジャー、フォンタン、等)と各死亡要因での死亡率の関係が詳細に示されていた。例えば、フォンタン患者(180名)の場合、心不全(52%)、突然心臓死(13%)、がん(3%)、周術期死亡(19%)、出血死(3%)、敗血症/感染(3%)、肝不全(3%)となっている。一方で、肺炎、脳障害、大動脈解離・剥離、心筋梗塞による死亡は見られなかった。これらの非心臓性死因は、比較的高齢で発症するものであり、逆に言えばフォンタン患者は高齢になる前に心臓が原因で死亡していることを表していた。

 さらに興味深いのが、各病態での実年齢が健常者の何歳に該当するかを予測した結果である。これは正確に言うと、ある年齢の心疾患患者の死亡率と同等の死亡率を示す健常者の年齢を表したものであった。例えばフォンタン患者の20歳、30歳、40歳、50歳、60歳の死亡率はそれぞれ、健常者の64歳、68歳、75歳、82歳、91歳の死亡率と同等であるということであった。つまり現在43歳であるおいらは、健常者で言えば77歳くらいになるのである。

 おいらは以前から50歳の寿命だと予想していたが、この研究結果によればそれは82歳と同等であり、日本人男性の平均寿命81歳とほぼ一致する。だから50歳はおいら的には十分天命を全うした年齢なのだ。なんて満足していてはいけない。この研究に従えば、もしおいらが80歳以上生きることができれば、現在の男性世界最高齢112歳を凌駕することになるのだ。よっしゃー、いっちょやったるか。と言ってる間に、コロナでころっと死んでしまったらごめんなさい。

 

*1 本論文は以下のリンク先に無料で公開されている。 https://www.ahajournals.org/doi/full/10.1161/CIRCULATIONAHA.115.017202

先天性心疾患者にとって新型ウイルスはどれほど脅威なのか

随分と大げさなタイトルだが、結論から言うとわからないというのが今回の話である。現在、世界中で拡散している新型コロナウイルス。ニュースなどで報じられている話では、基礎疾患がある人、心不全がある人などは感染した場合重症化するリスクが高く、特に注意が必要だそうだ。おいらは、言うまでもなくまさにハイリスク人物であり、周りの人もおいらが感染しないかととても心配してくださる。しかし、当の本人は過去の経験から、感染症に対してあまり恐怖を感じず楽観視してしまっていた。

 未だ理由がわからない謎の一つに、おいらはこれまであまり感染症にかかってこなかった(注1)。家族や職場の人が風邪を引いたりインフルエンザに罹ったりしても、なぜか感染することがなかった。基礎疾患がある上、ステロイド剤を飲んでいて免疫力も低下しているので、真っ先に感染してもおかしくないはずだ。昨年極めて久しぶりにインフルエンザにかかった。しかしそれも楽観視して油断し、先に発症していた息子と丸一日同じ部屋で過ごし、同じ布団で寝たりして超濃厚接触したためであった。幸い軽症で済み、熱もさほど上がらず1日で回復した。それもまた不思議だった。それ以前にインフルエンザにかかったことは記憶のある限りなかった。きっと、大病を患う人は神様が小病にかからないようにしているのだとか、バカは風邪引かないというようにおいらがバカだからだ、などと非科学的な理由を考えたりして、それ以上理由を追求することはしなかった。そんな経験から、コロナウイルスに対しても無根拠に楽観視していた。

 そんなとき、職場の同僚から発熱と咳の症状が出たため休むという連絡が入った。いつもなら、お大事にしてくださいと返事をして終わるところだが、「新型ウイルスの可能性もゼロではないと思いますので、もし可能でしたら医療機関に受診して検査してみてください。」と書いて返信メールを送っていた。送ってから、実はすごく不安になっている自分に気づくとともに、なんだか失礼なことを言ってしまったのではないかという後悔の念が沸き立ってきた。まだ、発症して1日程度であり、新型ウイルスかどうかは全くわからない段階で、自分の身の安全だけを考えて同僚を疑っていることに罪悪感を感じた。それに現時点で安易に医療機関を受診すれば、返って混乱の元になるだけかもしれないのだ。

 本当にすべきなのは、根拠なく楽観視することでも、過剰に反応して不安を募らせることでもなく、冷静に客観的に現状を把握することなのだ。科学者であれば、客観性と論理性を最も尊ぶべきなのに、おいらのコロナウイルスへの反応は恥ずべき態度であった。現時点においてコロナウイルスに関するデータは十分蓄積しておらず、リスクを正確に評価することは多くの研究者にとって難しいことであろう。だから、研究者の中でも楽観論から悲観論まで両極の意見が出ている状況である。おいらの少ない知識と思考力で考えられることは、今コロナウイルスのリスクを一般論化することは無意味であるということだ。この新型ウイルスが脅威になるかどうかは、その人の健康状態や置かれた環境、地域、生活習慣、食生活、行動範囲などによって全く異なる。その上で、おいらの場合はたとえ現実の感染リスクが極めて小さいとしても、もし感染した場合の重症化や致死のリスクは非常に高いため、同僚には申し訳ないが過剰な反応もせざるを得ないと思いもする。

 あまりまとまりのない文章になってしまったが、おいら自身の気持ちは整理できた。明日から楽観視をなどせず、もっとしっかりとした防護策を立てることにしよう。

 

注1:感染症にかかってこなかったというのは本当は正しくない。おいらは、フォンタン転換術後に手術創から菌が感染して縦隔炎を起こし、その治療に一年近く要したことがある。

ペースメーカーの夜明け:心室細動入院エピローグ

前編と後編では書けなかった、心室細動に至った原因や心房細動が頻発した原因、そして今後の治療方針について、記録のために書き記しておこう。

 医者の説明によると、心室細動が発生した原因として最も考えられるものは、低カリウム血症であった。緊急入院した時のおいらのカリウム値は2.2mEq/Lになっていた。一般的に、3.5mEq/L以下で低カリウム血症とされ、2.5mEq/L以下は重症である。低カリウム血症による症状は、消化器症状、筋力低下、脱力、神経・筋症状、多飲・多尿、四肢麻痺、呼吸筋麻痺、心筋興奮性亢進など様々だが、不整脈も起こりやすくなる。特に、低カリウム血症が重症であるほど心室細動などの致死的不整脈が起こりやすい。おいらは、重度の低カリウム血症状態の中、カテーテル検査で造影剤を吹きかけまくるという刺激を与えたため、心室細動は起こるべくして起こったと言える。

 おいらの低カリウム血症は、最近起こったものではなかった。過去の血液検査を見直すと、少なくても1年以上も前から、カリウム値は3.0mEq/L前後を推移しており、長期間低カリウム血症状態にあった。カリウムは細胞内にも蓄えられており、細胞内カリウムを放出したり取り込んだりすることで、血中カリウム濃度が平衡に保たれている。しかし、おいらの場合長期間低カリウム状態にあったため、細胞内カリウムも使い果たしていたようだ。そのため、入院中は点滴でカリウムを補充し、入院途中から退院後の現在もカリウムサプリメント薬(ケイサプライ)を服用することになったが、今だ血中カリウムは十分に回復できていない。

 心房細動が頻発するようになった理由は、はっきりとしない。上記のカリウムも一因かもしれないが、もう一つ考えられるのは、昨年12月から抗不整脈薬の種類を、アミオダロン(アンカロン)からサンリズムとべプリコールに変えたことだ。抗不整脈薬は患者によって効く種類が異なるようで、おいらはアミオダロンの方が適しているらしい。そのため、入院中にアミオダロンに戻すことになった。ただここで新たな問題が発生する。アミオダロンを長期服用していると、心房ペーシング不全を起こす場合があるのだった。そしておいらの心臓は、最近心房ペーシング不全になってしまった。入院によって、カリウムを上げアミオダロンに変えたことで、不整脈の発生は抑えられるようになった。しかし、心房ペーシング不全により心臓の力が弱まり、ちょっとしたことで疲れるようになってしまったのだった。今後こうした問題を解決するには、不整脈を抑えかつペーシング不全を起こさない新たな抗不整脈薬を見出すか、ペーシングが乗りやすい心房部位にリードを差し替える手術を受けるしかない。ただ、リード交換術は開胸手術となるため、体の負担が極めて大きくリスクが高い。

 おいらの今後の治療方針はまだ確定していない。ペースメーカーを全取替えするのか、内服薬によって調整するのか、それともアブレーションをするのか。現状は内服薬の調整による様子見だが、おそらくいずれアブレーションとペースメーカー全取替えの両方をやることになるだろう。前回も書いたが、それは命を懸けた闘いになる。おいらには、心から信頼し命を預けたいと思える医師と病院がある。5年前TCPC conversion手術とその後の消化管出血の地獄入院から救ってくれた病院である。ペースメーカー全取替え手術をするなら、その病院にお願いしたいと思っており、近いうちに相談をしようかと考えている。

泣く勇気:心室細動入院後編

ICUに移ってから、当初の2日間の滞在という説明とは異なり3日目に突入していた。ICUでの生活は、気が狂いそうなほど口が乾き、鼠蹊部に刺さったシースのためにほとんど身動きが取れず、騒音と光で一睡もできない状況を耐え続けなければいけなかった。あまりに辛いため、担当の看護師に今日中に一般病棟に移れないものかと懇願した。しかし、医者の判断が遅れたためさらにもう1日滞在が延びることになりそうだった。

 おいらはICUのベッドの上で放心状態になりかけながら、天井を見つめこれまでの過程を思い返した。そして、いくつもの点に疑念がふつふつと沸き立ってきた。心室細動が起こることは事前の血液検査で十分予見できたのではないか。カテーテル検査中でも予兆となる心臓発作が起こっており、重篤な状況になる前に検査を止めるなどの判断ができたのではないか。右足鼠蹊部に無駄なシースを刺したことも事前にエコー検査していれば回避できたはずだ。そもそも心室細動が起こらなければ、鼠蹊部にシースを刺すことも、そしてICUに滞在する必要すらなかったのだ。それどころか、医者たちはそんなおいらの苦しみに全く意を介さず、さらに大掛かりな開胸手術の可能性をあれこれと議論し始めている。このままだらだらと不手際の多い治療を続けたまま開胸手術へと突入すれば、おいらはとてもじゃないが乗り越えることはできそうになかった。もう我慢の限界だった。おいらは怒りと絶望で涙を流し続けながら医者との闘いを決意した。

 担当の看護師さんがおいらの異変に気付いた。大丈夫ですかと声をかけられたが、おいらは答えられずただ頭を横に振るしかできなかった。深呼吸を繰り返してなんとか声を出せるようになると、「もういやだ。何もしなくていいのでICUから出たい。」と伝えた。その間も涙を流し続け、興奮と過呼吸で目の周りがしびれ始め、意識を失いそうになった。看護師は慌てて担当の医者たちに連絡を取ったが、誰一人繋がらなかった。医者に無視されているような気がして、おいらの怒りはますます増幅した。ようやく気持ちを落ち着かせて看護師さんにおいらの疑念を説明し、医者と話をさせてもらえるようにお願いした。

 その日の担当の看護師さんはものすごく親切な方だった。その看護師さんがいたからこそ、おいらは勇気を出して医者との闘いを決意できたように思う。この人だったらおいらの苦しみをわかってくれるだろう、決して無視したり流したりしないだろうと思えた。案の定、その看護師さんはなんとか一般病棟に戻れるように手配してくれて、おいらのそばを離れず励まし続けてくれた。その優しさに一度は止まりかけた涙が再び滲み出した。

 夕方一般病棟に戻った。4人部屋だったが、個別にカーテンで仕切られてプライバシーが確保されており、とても静かだった。助かったという深い安堵の気持ちからまた涙が溢れ頬を静かにつたった。しばらくして担当の医者がやってきて、面談が始まった。本来ならICUの看護師さんは一般病棟に移った段階で引き継がれるはずだが、おいらがお願いしたためその面談の場まで立ち会ってくれた。とても心強かった。面談は一般病棟の看護師さんも加わり、4名での面談となった。おいらはできるだけ感情的にならないよう、おいらの疑念について一つずつ丁寧に説明した。感情的になって論理性を失えば、医者はまともに聞いてくれないと思ったからだ。それに医者を攻撃することは目的ではなかった。おいらが何に疑念を持っているのか、そして今後どうして欲しいのかをわかって欲しかった。

 おいらは上記の疑念を伝えたのち、開胸手術などの今後の治療方針を検討せずできるだけ早く退院できることを最優先にして欲しいこと、担当医師を変えて欲しいことを願い出た。前者は受け入れられ、後者は病院や医師の都合もあり受け入れられなかった。そして最後に最も伝えたいことを話した。それは、おいらがその医者を自分の命を預けられるほど心から信頼できないことだった。今後、開胸手術のような命を賭けた闘いに挑むなら、なおさら信頼できる医師でなくてはならない。誰でもいいわけでは全くないのだ。たとえ病院の施設が整っていようとも、技術的には優れていようとも、おいら自身が信頼できなければ命を預けることはできない。それだけは譲れないことだった。

 おいらは当初医者が腹を立て、治療を放棄するのではないかと覚悟したが、医者も感情的にならずおいらの伝えたいことを理解してくれた。結果的に、この面談後はおいらと医者との心の距離が近づいたように感じる。医者からおいらが勇気を出して直接説明したことを感謝された。おいらもまた、面談後もおいらを避けたり嫌悪感を示したりせずに治療を続けてくれたことが嬉しかった。命を預けられるかは別として、その医者を信頼できるようになった。

 面談が終わり、気持ちが落ち着いた後、妻にことの顛末をメールで説明した。手術を拒否したり、医者を批判するなんて、呆れられるのではないかと不安だったが、妻は全面的に理解をしてくれた。そして、おいらが自分で決心したのなら、本当に信頼の置ける医者に手術をお願いしたらいいよと言ってくれた。その日最後の涙が溢れ出し、これまであった苦しみを洗い流してくれた。

 

  前編後編で終えるつもりだったが、心室細動に至った原因や心房細動が頻発した原因、そして今後の治療方針についての説明を書けなかったため、次回書き記しておこう。

我を失った心と心臓:心室細動入院前編

先日10日間ほど緊急入院した。それは過去に経験したことがない種類の苦しみを味わい、死を強く意識した入院になった。少し長くなるが、その詳細を記録しておこう。  

 年明け早々から体調はすぐれなかった。心房細動が発生し病院で電気ショックを受け一度は止めたが、すぐにその1週間後に再発し、再び病院で電気ショックを受けた。しかし、その二日後また心臓に違和感を感じ始めた。夜寝ているととても息苦しく、脈は強く打ち、脈拍も一定でなく、胸が締め付けられる感覚が続いた。これまでの心房細動にはなかった苦しさで、ついに深夜に救急車を呼び病院に運ばれた。

 心電図や血液検査等の簡易的検査でははっきりとわからないが、おいらの訴える症状から心筋梗塞が疑われ、緊急でカテーテル検査を行うことになった。耐え難き痛みと苦しみを伴うカテーテル検査は、何度受けても慣れることができないが、医者に身を委ねるしかなかった。早速複数の医者がおいらの周りを取り囲み、同意書にサインし、病衣とオムツに着替え、早々にカテーテル検査室に運ばれた。

 まず最初の関門は、導尿管の挿入。なるべく痛くないようゆっくり入れてくれていたが、その分貫通するまで時間が掛かり、きつかった。次の関門は、カテーテルシースの刺入。これが一番痛い。幸い刺入部は左手首の動脈になった。手首は足の鼠蹊部に比べてはるかに痛みは少なく、また検査後も足を自由に動かせるので圧倒的に楽なのだ。実際、麻酔やシースの刺入が行われると、過去の経験よりずっと痛みが少なくすんだ。残す痛みの関門は、シースを抜くときくらいだ。これは経験上、刺すときに比べれば全然軽い痛みなので、なんだか一仕事終えて一服したいくらいの余裕が出てきた(実際おいらはタバコを吸ったことはないけど)。しかし地獄はこれからだったのだ。

 手首のシースからワイヤーを通し始めると、医者は急にテンポを速め、ワイヤーが何度も血管に引っかかり、その度にツンツンと体内から痛みが響いた。これはのちに腕のあちこちで内出血を引き起こす結果となった。やがてワイヤーが心臓に到達すると、休む間もなく造影剤がだくだくと流し込まれた。モニターにX線で投影されたおいらの心臓が映しだされ、造影剤が流れると冠動脈の姿が浮かび上がった。そしてついに地獄の扉が開かれた。何度か造影剤が流されると、突発的においらの心臓は心室細動を起こし始めたのだ。その度に医者は心臓マッサージを行った。心室性の不整脈が起こると、全身に血が流れなくなり、強い貧血に襲われたように意識を失いかけた。意識を失いかける時は、よく聞く話と同様に時間がゆっくりに感じ、「あー、これ、は、ま、ず、、い、、、、か、、、、、も」と心の中で呟いていた。そして再び心室が動き始めると、パッと目が覚めたように意識がはっきりした。記憶のある限り、このプロセスが2回繰り返され、その後完全に意識を失った。

 どれほどの時が経った後なのか、はっと意識が戻った。最初自分は今どこにいて何が起きているのか状況が全くわからなかった。そういえばカテーテル検査を受けていて、いつの間にか意識がなくなっていたのか、ということが徐々にわかってくると、それにかぶさるようにむちゃくちゃ苦しい状態にあることに気づいた。息ができず、全身が燃えるように熱くびっしりと汗をかいていた。目も見えているようで見えない。おいらはハアハアと口で息をしながら、呼吸とともに呻きのような叫び声をあげ続けていた。「あ、あ、あ、あ、熱い、熱い、熱い、痛い、痛い、痛い、苦しい、あ、、」。恐怖で我を失いそうだった。看護師さんがおいらの顔の汗を拭き、「大丈夫だよ、大丈夫だよ」と声をかけてくれると、おいらはすがる思いで、「何、どしたの、死ぬの、熱いよ。」と呼吸に合わせて言葉を叫んだ。目は見えないが、おいらの周りを人々が慌ただしく動き、医者がおいらに腕を伸ばすように声をかけているのが聞こえてきた。どうやら意識を失っている間に、体が硬直し腕を胸のところに丸めたらしい。その際、左手首のシースが外れ、そこから大量に出血している状況がなんとなくわかってきた。医者たちは止血処置をするため、腕を伸ばすよう言っていたのだ。あとで聞かされたことだが、意識を失っている間おいらの心臓は止まり、電気ショックを3回やり、心臓マッサージをし続けていたらしい。その際体が硬直したため、電気ショックをかけるのに手こずり、緊迫した事態になっていたようだった。

 なんとか事態は収束した。「一旦休憩しましょう」という医者の声が聞こえた後、しばらく静かな間があった。おいらは未だ状況がつかめかったが、苦しさが収まったため落ち着きを取り戻すことができた。間も無く医者がまた集まり始めた。検査はもう終わったのかなと思っていたら、執刀医が「また不整脈が起きたときにすぐ処置ができるよう、足の付け根にシースを挿した状態にしておきますね」と声をかけると、何やら付け根を消毒し始めた。え、また始まるの。しかも今度は特に痛い鼠蹊部なのか。おいらは恐怖でまた呼吸が荒くなってきた。医者は間髪入れず麻酔を刺し始めた。やっぱりめちゃ痛い。おいらはまた叫び始めた。

 ここでさらなる不運が襲う。シースは動脈と静脈両方に留置する必要があったが、おいらの右足鼠蹊部は数々のカテーテル検査で静脈が潰れていた。しかし、医者はそのことに気づかず、何度もガイドワイヤーを通すための太い注射針を差し込んで静脈を探っていた。その度においらは痛みで叫びまくった。ようやく医者は異変を感じ、エコーで調べてみると静脈が見つからないことが発覚した。結局静脈は左足鼠蹊部から取ることになり、左右両方の足にシースを留置された。

 カテーテル検査が終わった。幸い冠動脈の閉塞は見つからず心筋梗塞ではないことがわかったが、致死性の心室不整脈が起こった場合に備え、1、2日間ICUに滞在することになった。ICUでは、過去の経験と同様に強烈な口の渇き、騒音、光といったストレスが絶え間なく続いた。さらに、当初の話と変わってICU滞在が3日間続き、4日目に突入しそうな話になってきた。もうおいらにはICUで耐える気力が残っていなかった。そして、これまでに起きた過程を思い返すうちに限界に達したおいらは、命を懸けた反撃に出ることにしたのだった。長くなったので、その続きはまた次回記したい。

息子いれば憂いなし

年明けから息子と二人暮らしをしている。妻は、昨年同様冬の期間は友人の観光業を手伝いに、本土の山間部に長期滞在しに行った。昨年までは息子はスキー留学のため、妻と一緒に行っていた。しかし、息子は中学に入るとスキーへの情熱が冷めてしまい、今年はおいらと共に南の島に残ることにした。

 昨年おいらが独りで生活しているときは、寂しくてたまらなかった。だから、今年は妻が独りでさみしくないだろうかと内心気がかりであった。でも妻はそんなそぶりを少しも見せず、むしろおいらと息子の二人暮らしをかなり心配していた。男二人なので、日常の掃除・洗濯・料理がちゃんとできるかというのもある。でも何よりおいらの体調が悪くなり緊急入院した場合を心配していた。だから、もしそうした事態になった時の対応を事前にしっかりと決めておいた。いくつかの緊急連絡先をお互いにメモする。息子は出かけるときは必ず家の鍵を持ち歩き、おいらがいなくても家に入れるようにする。家に帰ったときにおいらがいなければ、すぐにメールする。それでしばらく返事がなければ妻に連絡する。といったルールである。また、万が一数日間息子が一人で過ごす羽目になった場合にも備え、レトルト食品などの非常食もいくつか用意した。一つ一つはごく当たり前の些細な事であるが、こうしたルールを明確にしておくといざという時の不安が全く違ってくる。

 より重要なのは、緊急事態にならないための予防策である。おいらが体調を崩したり不整脈になる原因は不明な面もあるが、疲労やストレスが一因なのは間違いない。だから、息子にも少なからず家事をがんばってもらう必要がある。米研ぎ、食器洗い、風呂・トイレ掃除は以前から息子の当番だったが、夕飯の支度も週に2−3回はしてもらうことにした。今晩は息子にシチューを鍋一杯に作ってもらった。明日の夜の分も十分にあるので、これで二日間休むことができる。作るのに2時間以上かかり、人参やジャガイモはシチューには小さすぎる大きさに切られていたが、優しい美味しさだった。何より、作った本人が美味い美味いとがっついている姿が、シチュー以上に温まった。

f:id:susukigrassland:20200115223904j:plain

 息子は物心つく前からおいらの病気を身近に見てきており、4年半前のフォンタン再手術では妻たちと共にずっと立ち会っていた。そうした出来事が、息子の心にどのように刻まれたかはわからない。とても怖かったり不安だったかもしれないし、ただわけがわからなかっただけかもしれない。でも文句ひとつ言わず作った息子のシチューには、家族を助けたいという強い覚悟が煮込まれているのがはっきりとわかった。そんな息子は、まるで少し大人に成長したことを証明するかのように、夕食後歯が一本抜けた。

フォンタン循環における肝臓および腎臓の末端器官障害

新年早々、再びフォンタン術後の肝機能障害についての研究を紹介する。この論文では腎機能障害についても詳しく分析している。

ーーーーーーーーーーーーーー 

Wilson, TG. et al. (2018) Hepatic and renal end-organ damage in the Fontan circulation: A report from the Australian and New Zealand Fontan Registry. International Journal of Cardiology 273: 100–107.

背景:フォンタン術患者では、肝機能および腎機能の障害がしばしば合併症として生じるが、その発症率や要因は十分に検証されていない。

方法:フォンタン患者152人(平均19.8±9才)が、腹部超音波、FibroScan(肝硬化検査)、FibroTest(肝線維化血清検査)、mGFR値(糸球体濾過率)および尿アルブミン/クレアチニン比検査のいずれかまたは全てを受け、その検査結果を詳細に分析した。

結果:被験者のフォンタン術後経過年数は14.1±7.6年。肝線維症の兆候は、超音波検査では61%の患者で見られたが、肝癌と診断された患者いなかった。 肝硬化検査では、10以上(117/133人、88%)、15以上(75人、56%)、20以上(41人、31%)であった(5以下は正常、17以上肝硬変)。 118人中54人の患者(46%)がFibroTestスコアが0.49以上(F2線維症以上)であった。

 腎機能障害は、46/131人(35%)が軽​​度(mGFR 60–89 ml/min/1.73m2)であり、3人(2%)で中程度(mGFR 30–59)。微量アルブミン尿は、52/139人(37%)で検出された。これらの肝機能障害や腎機能障害の兆候はフォンタン術からの経過時間とともに増加した。

結論:フォンタン術後20年以内に、多くの患者で肝臓および腎臓に機能障害が見られている。したがって、フォンタン術後は肝機能および腎機能の変化を注視して観察する必要がある。

ーーーーーーーーーーーーー

 なかなか気が重くなる内容であった。さらに論文の中では、「現在、フォンタン循環における末端器官の障害を防ぐための有効な医学的治療法はない。」とまで言ってしまっていた。そんなこと言わずに、なんとかしてくれと言いたいところだが、冷静に客観的視点で解釈すれば必ずしも悲観的になる必要はないかもしれない。まず、論文の考察でも述べられていたが、被験者数が少ない上、分析データがある一回の検査を対象にしている。これでは、より正確な結果を得るには不十分であろう。一方、この論文で行われた検査はいずれも非侵襲的な検査であり、気軽に受けることができるものばかりである。だから、普段の診察の際に、これらの検査をたまに行ってもらうのが良い。もしそれでなんらかの兆候が検出されたならば、症状が悪化しないような治療や生活習慣にすることでかなり対処できるはずだ。

 おいらもまた肝障害と腎障害が多少なりともあるが、リーバクトという肝庇護の薬を飲んだり、食生活を工夫するなどで症状の悪化を今のところ抑えられている。肝心・肝腎という言葉があるように、肝臓、腎臓、心臓は人体にとって欠かせない存在であり、三者一体である。しかし、それゆえにそのどれか一つが弱ると共倒れしかねない脆さを秘めている。