ある生物学者の不可思議な心臓

ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命について考える。

心臓と脳の心

昨年末は生きがいや希望を見失いかけ、どうしたらよいかわからなくなり、姉や知り合いに相談してみた。姉からは慰められるどころか、「つまらなさを誰かのせいにしているうちは愉しくならない。なにがつまらないか、どうしたら面白いかを考えなさい!」と、厳しい言葉をかけられた(実際にはおいらに直接言ったのではなく、自分の子供にそういう風に怒ったんだという話をして、間接的においらにも言っているのかなと解釈したのである)。知り合いの方からは、「もう仕事なんてやめて生きればいいんじゃん」と、ますますどうしたらよいかわからないことを提案された(その人はおいらの知る中で最高の自由人なため、達観しすぎてておいらにはまだとても到達できない次元なのである)。しかし、姉も知り合いの方も、言いたいことは共通している。明るい兆しはただ待っていてもやってこない。明るくなるよう自分が行動していかなければならないということなのだ。

 そんなわけで、今年は色々新しいことに挑戦したり、自分の身の回りの環境や生活を変えていこうと思っている。まず年明け早速やったのは、家の中に落ち着いて勉強できる空間を確保することだった。以前から勉強机はあったが、それはリビングにあり、近くにテレビがあって集中できる空間ではなかった。また、長時間座れるワークチェアもなかった。そこで、息子に手伝ってもらって部屋の模様替えをし、ワークチェアも新調して、寝室を書斎にリフォームした。もう早速毎日勉強しまくりである。

 それから、これは昨年の11月末から始めたことだが、毎日30分単位で行動記録をつけることにした。手帳などに手書きしていては面倒なので、エクセルに入力して記録していく。行動はあらかじめいくつかにカテゴリーわけしておき、例えば仕事(Work)ならWo、家事(Domestic task)はDo、勉強(Study)はSt、休憩(Rest)はReといった具合に入力する。こうして入力した記録を自動で色付けして集計できるように、エクセルマクロでプログラミングした。以下が先月のおいらの実際の行動記録である。これを見れば自分がどのくらいどんな行動をしているかが一目瞭然であり、もっと勉強しようといったモチベーションを高めることができる。

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 他には、英語や楽器を習い始めたいと思っている。英語は仕事上の必須スキルだが、おいらはとても苦手で、それがまともな研究職につけない大きな要因になっている。それに新しい職に就くにも、英語ができるかどうかで選択の幅が大きく違ってくる。つい先日も英語がネックで新しい仕事への応募を断念した。楽器は大学生の頃ジャズサークルに入ってベースを弾いていたのだが、卒業以来ほとんど弾かなくなってしまっていた。でもジャズは妻と出会い結婚するきっかけになったものであり、もう一度演奏できるようになって妻にいいところを見せたいと密かに思っているのだ。

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 こうしておいらがいろいろやろうとするもんだから、おいらの心臓くんも独り言を言い始めたようだ(Fontan biologist (@FontanBiologist) | Twitter)。 まあ好きに言わせてあげよう。心臓の気持ちと脳の気持ち、どちらがおいらの本心なのだろうか。

フォンタン術後のタンパク漏出性胃腸症患者における臨床成果と生存率の改善

今年最後の記事は、少し明るい報告の論文を紹介して終わりたい。

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John, AS. et al. (2014). Clinical outcomes and improved survival in patients with protein-losing enteropathy after the Fontan operation. Journal of the American college of cardiology 64: 54–62.

背景:Fontan手術後のタンパク漏出性胃腸症(PLE)の患者は、発症後5年の死亡率が50%と報告されてきた。しかし、現在では治療の進歩により生存率が改善した可能性がある。そこで本研究は、フォンタン術後PLE患者の現在の状況を改めて調査した。

方法:1992年から2010年でのフォンタン術後PLE患者42人(男性55%)の臨床結果を分析した。

結果:PLE診断時の平均年齢は18.9±11歳。フォンタン手術は10.1±10.8歳で行われ、フォンタン手術からPLE診断までの平均期間は8.4±14.2年である。患者の生存率は5年88%、10年72%であった。死亡した患者は生存者と比べて、フォンタン圧(肺動脈圧と思われる)が高く(平均値>15mmHg)、心機能が低下し(駆出率<55%)、NYHA心臓機能クラスが2以上であった。また、死亡患者は、肺血管抵抗が高く、心係数は低く(1.6±0.4l/min/m2)、混合静脈飽和度も低下(53%)していた。つまり、高い静脈圧と高い肺血管抵抗の両方が、フォンタン経路への受動的静脈還流を妨げ、心拍出量(心係数)が減少する原因となった。

 PLEの生存者でより頻繁に使用される治療法には、スピロノラクトン(浮腫改善)、オクトレオチド(腸管治療)、シルデナフィル(肺高血圧改善)、開窓形成(フォンタン圧低下)、フォンタン狭窄の軽減(心拍出量改善)などがある。また、不整脈治療、肝機能障害への注意、高タンパク低脂肪食、貧血、甲状腺機能障害、睡眠時無呼吸等の心外症状への治療なども重要である。

結論:PLEの治療は複合的であり、依然として困難であるが、治療の進歩により生存率は著しく向上した。PLEのメカニズムやPLEの効果的治療戦略を解明するためには、さらなる研究が必要である。

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 おいらは6年前にPLEが診断された。その時もこの研究の背景にあるように、5年死亡率50%、10年死亡率90%だと医者から告げられていた。3年前にはPLEが悪化し消化管出血を起こし、かなり危機的状況にまで落ちいった。その時は、食事も取れず、胃腸は常に痛くて気持ち悪く死を覚悟した。しかし、この論文に書かれているような様々な治療を行って奇跡的に回復し、気づけば5年を過ぎていた。そして現在は、多少の波はあるものの、危機的な状況になるリスクは少ない。このまま状態が安定していれば、PLE発症後10年生存も難しくはないだろう。本当にありがたいことである。

 でも何がありがたいって、5年以上生きられたおかげでこの冬公開されたスターウォーズ完結編を観られたことである。もうおいらはPLEを恐れないのだ。恐れは暗黒面に通じている。

May the Fontan be with you

クリスマスも終わり、今年もあとわずかとなった。今年は正直暗い年だった。おいら個人的な面では、不整脈がたびたび発生し体調が安定せず、研究職の夢を諦めかけ、科学雑誌に投稿した論文は雑誌編集者から聞いたことがない理不尽な扱いを受け、職場はブラックになりつつあり、今の仕事にやりがいを失い、さらに独りの時間が増え寂しさに惑わされていた。ネガティブ思考に陥り、悪い面ばかり意識が向いていただけかもしれないが、辛い一年だった。そしてそれに追い打ちをかけるように、社会的にも暗い不気味な影がこの国を覆い始めているように感じていた。今の政治状況は、吐き気がするほどあまりにひどく、不整脈が発生するのもそのストレスが一因になっていてもおかしくなかった。

 来年は明るい兆しが見えるだろうか。政治状況に関しては、ようやく現政権の暗黒面が明るみになりつつあり、もしかすると来年早々には政権終焉を迎えるかもしれない。しかし、もし政権が存続し続ければ、この国が終焉を迎えるであろう。権力者が国を完全に支配すれば、人々の人権と命はないがしろにされていく。そうした状況になったとき、歴史を振り返れば例外なく、おいらのような障害者を含む社会的弱者が真っ先に差別と迫害の対象になる。そして行き着く先は、命そのものが奪われる。現政権が続けば、近い将来必ず何かしら目に見える形で差別や迫害が現れるとおいらは覚悟している。

 しかし、命は本来決してないがしろにできないものである。生物学を深く学ぶほど、命の重みや美しさを否定できなくなる。一つの生命がこの地球上に誕生することが、どれほど神秘的なことであろうか。それは長い生命史の中で、数えきれないほどの偶然と必然が組み合わさり誕生したまさに奇跡の産物なのだ。一人の人間が誕生し生きていく間には、約2万の遺伝子が絶妙なタイミングとバランスで相互に連携しながら発現する。なぜどのようにそのような巧妙なシステムが創造できたのか。それはまだ誰にもわからないが、あまりに美しいことは誰にでもわかる。権力者は美しい国などと簡単にのたまうが、美しさはそう容易に目指せるものでも創造できるものではない。真の美しさは、生命のようなものであるはずだ。

 おいらは障害を持って生まれたことで、生命の美しさに生物学的側面以外からも少し近づけることができた。それはとても幸運なことに思う。物事を複数の面から理解することは、より真理に近づける可能性があるからだ。暗い気分を来年に引きずり続けていてはいけない。来年末には、はやぶさ2が生命誕生の謎に近づく決定的証拠を持ち帰ってくれるかもしれない。おいらも生物学と闘病体験を組み合わせて、おいら独自の視点で生命の謎に近づく研究をすればいいのだ。おいらが解明する生命の謎は、はやぶさ2よりはるかにちっぽけなことだろう。でも、権力者が目指す美しさより、確実に真の美しさに近づける自信はある。

 その前に、スターウォーズ最終章を鑑賞してこの一年の暗黒面から脱しよう。フォンタンと共にあらんことを。

今後のラインナップ その後

年末になるとその一年を振り返りたくなる。以前、「今後のラインナップ」というタイトルの記事で、今後書きたいテーマやリクエストをいただいたテーマについてまとめた。「今後のラインナップ」は、予想外に反響がありたくさんのコメントをいただくことができた。そこで、せっかくいただいたコメントへのお礼を込めて、今回はそのラインナップがどれほど達成できたかを振り返って整理してみたい。

 

1. いつか話すといって話していないもの

 

2. フォンタン再手術入院の続き(リハビリや手術創の縦隔炎について)

   少し有Perfume体操

 

3. フォンタンマスターへの道

   少し有筋肉編

 

4. 読者の方々からのリクエス

 

5. その他書きたいと構想しているテーマ

  • シンチ検査は慎重にの巻  
  • フォンタン術後長期生存率のレビュー  :論文紹介のカテゴリーの記事
  • アブレーションはあぶねーっしょの話  
  • 子供の頃受けた手術の記憶(3歳編、8歳編、13歳編) 少し有2つの記録

 

 こうして振り返ってみると、まだ40%ほどしか記事を書けていなかった。さらに、これ以後も新しいリクエストをいただいたりもしたため、実際にはもっと書くべきものがある。最近は生きがいや目標を見失いかけていたところだったので、おいらには丁度いい目標であり来年の宿題になった。来年もフォンタン患者としての体験を、誠実にそして客観的に記していきたい。それは、広大なネット空間の片隅でほとんど誰の目にも留まらず、ひっそりと記された記録になるかもしれないが、もし誰か一人にでも役立つ情報になれば本望である。

 なんて綺麗にまとめようとしているが、本音は「今後のラインナップ」の時のように、どなたからコメントこないかな、なんてせこい期待をしているだけであった。

ハイゼントラ vs サムスカ

今日は2週に一度のハイゼントラの日。今回もハイゼントラを点滴している1時間の間に、記事を書いてみよう。テーマは、以前書こうとしてやめたハイゼントラとサムスカの対決の話である。まずその二つの薬の特徴を紹介しよう。

 ハイゼントラは、患者自身が在宅で行う点滴である。点滴のポンプをセットする、シリンジにハイゼントラの薬液を入れる、消毒する、注射針をお腹などに刺す、など一連の点滴のプロセスを患者自らあるいは患者ができない場合は家族が行う。点滴を自分でやるのはなかなか勇気のいることだが、在宅できるのは、病院に行く手間が省けて、圧倒的に便利でありがたいことである。ハイゼントラの点滴は、薬液の量にもよるがだいたい一時間くらいで終わる。その間は、横になっていないといけないのが唯一不便な点である。

 サムスカは利尿剤の中でも極めて強力で効果の強い薬である。薬の説明でも「本剤投与により、急激な水利尿から脱水症状や高ナトリウム血症をきたし、意識障害に至った症例が報告されており」と警告されており、入院下で開始することが基本になっている。通常、成人は1日あたり2錠(15mg)を服用するが、おいらは先月まで3錠を服用していた。そのため、飲んだ後は毎回凄まじい尿意に襲われていた。毎日、朝に3錠を飲むと、午前中はトイレをひたすら往復する羽目になる。大体20分から30分の間隔で尿意が襲い、しかも尿意は急激に一気に強くなってくる。実際には、一回一回はそれほど沢山出るわけではないのだが、まるで膀胱に満タンに溜まったかと思えるほど尿意が激しい。おそらく、あまりに急激に溜まるので、膀胱が危険を察知して緊急指令を脳に送っているのだろう。

 だから毎日午前中は尿意との格闘であった。平日は仕事中のため、会議中だろうが上司と話していようがどんな場面であっても、我慢できずにトイレに駆け込んでしまう。休みの日に外に出ている時はさらに辛い。近くにトイレがなかったり、運転中だと漏れる寸前で涙目になる。本当に限界に達した時は、もう人目も気にせず、股間の部分を手で掴んで抑えて、ヒイヒイと声を上げながらトイレに駆け込んだこともしばしばある。そこまで限界に来ると、もう股間を掴んだ手を離すことができず、トイレについてもどうすることもできなくなる。イメージとしては口を閉めていない水風船がズボンの中に入っていて、それをズボンの外から口を抑えているのと同じである。ちょっとでも手を緩めれば、水風船から水が勢いよく吹き出してしまう。だから、片手でズボンの外から抑えつつ、もう一方の手をズボンの中に入れて直接抑え、うまく抑えられたらズボンの外の手を離してズボンとパンツを下ろしていく。また、この状態だと立ってする尿の便器は飛び散るリスクが高いため、座る便器の方で衣服が濡れないようしっかり下ろしてから出す必要がある。焦っている時こそ、ゆっくり慎重に行う必要があるのだ。

 ここまでが前置きで、本題のハイゼントラとサムスカの対決の話に戻ろう。すでにご想像の通り、その対決とは、ハイゼントラをしていて横になっている一時間の間に、サムスカの強烈な尿意が襲ってきたらどうなるのかという話である。当然一時間も我慢することなんてできないので、注射針が刺さったままトイレに行くしかない。あるいは、ハイゼントラがもう少しで終わりそうなら我慢する選択もある。しかしその選択はかなりリスクが高い。想像以上に早く限界に達してしまうと、起き上がることすらできなくなってしまう。無理に起き上がれば、尿が溢れてしまうからだ。

 一方、トイレに行く場合も下手に動くと針が動いて痛かったり、折れたりしたら大変危険である。だから極めて慎重に動かさなければならない。お腹に力が入らないように起き上がり、輸液ポンプからシリンジを外し、シリンジを持ってそっとトイレまで行く。輸液チューブがどこかに引っかかったり、トイレの中に垂れ下がる危険もあるので、そこも丁寧に取り扱う必要がある。その間も強烈な尿意が襲い続けており、油断すると尿が噴出する。それはもう、爆弾処理するような慎重さと集中力が必要なのである。

 一体なんてくだらない汚い話を書いているのだろう。おっさんの尿意を我慢する話なんて気持ち悪すぎる。でもこれがおいらの日常であり、その日常のおかげでおいらは限界を超える限界を知り、慎重になる大切さを学ぶことができた。もうちょっとやそっとのことでは決して焦らないだろう。

 

補足1:実際は、ハイゼントラの途中でトイレに行きたい場合は、一度針を抜くのが最も安全で正しい方法である。でも衛生上針を交換しないといけないし、針を再び刺すのが嫌なので、いつも刺したままトイレに行っている。良い子は決して真似をしないようにね。

補足2:今回のハイゼントラも途中で尿意に襲われた。でも今はサムスカが2錠に減っているためなんとか我慢でき、終わった後でトイレに行くことができた。

補足3:最初にハイゼントラをしている1時間のうちに書くといったが、今回も時間内に終わらず、結局2時間以上かかった。

血の証明

最近、暗いネガティブ思考の話が続いてしまっている。そんな話は誰も聞きたくないし、おいら自身ますます気が滅入るばかりだ。それにこのブログの本来の目的は、闘病体験を面白おかしく書くことでもあった。そして病気を持つ生き方も捨てたもんじゃないぜと希望を持てるような内容を書きたいのだ。その初心に戻って、今回は面白い小話をしよう。と言いたいところだが、今回もまた面白いとは程遠い話になりそうだ。しかしこの話も心疾患患者だからこそ経験しうる貴重な体験だったので、お話ししたい。

 おいらにまたも不整脈が再発した。今年の5月から7月に多発して以来の再発だった。7月の時は、ベプリコールという抗不整脈を増量しなんとか静まった。それからわずか4ヶ月程の儚い期間しか持たなかった。今度はアスペノンという薬が追加された。しかし、一度発生した不整脈は止まらず、今回もまた電気ショックで止めることになった。

 電気ショックはいつも病院の救急センターで行なっている。おそらく、救急センターならすぐにベッドが確保でき、心電図、超音波エコー、心電図モニター、除細動器、等の諸々の処置器具が揃っているからであろう。救急センターなので、当然ながら様々な急患が次々と運ばれてくる。南の島という土地柄か、海で溺れた人、外国の観光客、といった人が運ばれることも多い。怪我や病気の種類はどうであれ、やはりどの患者も苦しそうであり、中にはかなり深刻そうな患者さんも運ばれてくる。そんな中、おいらはさほど深刻でなく、自分の不整脈の音を携帯で録音したり本を読んだりと、なんだかいつも場違いな存在に感じてしまう。

 先日おいらが電気ショックを受けた時も、おいらの隣のベッドにかなり深刻な患者さんが救急車で運ばれてきた。カーテン越しなので詳しい容態はわからないが、おそらく5、6名の医療スタッフが慌ただしくその患者さんの治療にあたっているようだった。しばらくは、あまり緊迫した様子はなく、おいらも横のベッドで優雅に本などを読んで電気ショックの準備を待っていた。が、突然患者の容態が急変したようで、「あ!目がおかしい!」と男性医師が叫ぶと、一気に緊迫した雰囲気に包まれた。次々と指示が飛び交い、それに応じて看護師さんが走り回ってあちこちから治療器具を持ってきていた。おいらも、本を読んでいる気分どころではなくなり、緊張で不整脈はさらに乱れていった。

 いよいよ容態が危なくなったのか、開胸セットと書かれた大きなプラスチックタッパまで運び込まれた。おいらは恐ろしくなり、このまま隣のベッドにいてもいいのか不安でたまらなくなった。最悪の場合、死の瞬間を間近で立ち会うことになるかもしれない、そんなことすらよぎった。せめて邪魔にならないよう、この場から離れたかった。でも一方で、同じ患者側の立場として、最期の瞬間までそばにいて見届ける義務があるのではないかとも思いもした。それは、将来自分の身にも起こりうる瞬間であり、自分が最後をどのようにむかえるべきかをよく考える必要があるからだ。

 その後、その患者さんは別の場所に運ばれていき、無事助かったのかどうかは分からずじまいだった。移動される時、隙間から見えた患者さんのベッドは血で染まっていた。根拠は何もないが、無事助かったと信じている。ようやくおいらの準備が整った。なぜか、先ほどの患者さんがいた位置に、ベッドごと移動させられた。なんだか、生か死かの判決の順番が回ってきたかのようで、これから行われる電気ショックにいつになく緊張してきた。

 目が醒めると処置が終わって2時間ほどたっていた。鎮静剤は一瞬で効き気絶するように意識を失ったようだ。目が覚めてもまだ意識ははっきりとせず、どうやら医師や看護師さんと会話したり、会計を済ませたり、家族にメールしたりしたようだが、ほとんど覚えていなかった。今までだったら、時間が経つごとに意識がはっきりとして眠気がなくなるのだが、この日はいつまでたっても眠くて仕方がなく朦朧としていた。朦朧とした意識の中は夢の世界のようで現実味がなく、自分が生きているのか死んでいるのかもよくわからない気分だった。ただなぜかやたらと寒気がした。家に帰っても強い眠気と寒気は続き、風呂で温まり、暖かいうどん鍋を食べたがそれでも収まらず、何重にも厚着をして羽毛布団にくるまって眠りについた。

 夜中に目が醒めた。鼻の中がムズムズして、ほじると鼻血が出ていた。喉が渇き水を一杯飲むと、喉の奥に垂れていた鼻血から強烈な血生臭い味が口の中に広がり、それとともに全身に流れる血の温もりが蘇ってきた。それは、おいらが生きていることの何よりの証だった。

疲れない生き方は、むしろ疲れる。

先天性心疾患の性質上、おいらは物心つく前から無意識のうちに、なるべく疲れないように人付き合いを避けて生きてきたようなところがある。幼い頃は、大勢の友達とわあわあ騒いで遊ぶより、一人か二人の友達とひっそりと遊ぶ方が好きだった。たまに加減を忘れて友達とはしゃいで遊んでしまうと、後で必ず凄まじい息苦しさと頭痛で、ぐったりと倒れ込んでしまうのだった。

 子供の頃のそうした経験から、成人してからも友人との無理な付き合いを避けるようになっていった。心臓の調子が最も良かった20代の黄金期ですら、友人と徹夜して話し込んだり、家に誰かを泊めることはなるべく避けてきた。夜一人でゆっくり休めないと次の日だいたい頭が痛くなって体調を崩すのだった。

 そんなわけで、人付き合いが年々億劫になり、大学を卒業してからは友人関係がばったりと切れていった。年賀状のやりとりですら疲れるようになり、自分から送る人もいなくなった。でもそれは、疲れない生き方を実践する上でやむを得ないことでもあり、実際とても楽だった。他人のペースに合わせて行動するのは、おいらにはかなり疲れることなのだ。このブログで本名を明かさず、匿名にしているのもそうした理由もある。名前を明かせば誰かから連絡がくる可能性があり、それはおいらにとってとても疲れることなのだ。

 だからおいらの人付き合いは、今は職場以外ではほぼ家族だけしかいない。その家族も最近はそれぞれやりたいことを別々にやるようになり、家族揃ってお出かけしたり何かすることはほとんどなくなった。おいらは一人趣味もなく会う人もおらず、休日はずっと家にこもっていることが多くなった。せいぜい、近所のスーパーなどに一人で買い出しに出かけたり、ショッピングモールをぶらぶらする程度しかしない。そんな話を人にすると、なんて贅沢な時間なのだと羨ましがられる。多くの人は休日であっても、子供の行事や、ママ友や親戚やご近所との付き合い、親の介護などともかく忙しいようである。おいらにはそうした人付き合いが何一つない。それは肉体的には疲れないし気疲れしなくて済むが、休日の終わりには必ず凄まじい虚しさと心の痛みで、ぐったりしてしまうのだった。

 疲れない生き方を目指し、人付き合いを極端に避けた結果、おいらの今の生き方は虚しさで疲弊しきっている。昨晩は、水に溺れたかのように息苦しくて夜中に目が覚めた。しばらく座って深呼吸したら少し楽になったものの、いつかそのまま死ぬのではなないかと不安になった。では、真に疲れない生き方とはどうすればいいのだろうか。心臓が穏やかになっていく人付き合いがあればいい。でもそんなものはこの世にはないのだ。人付き合いをすれば必ず時にぶつかり、すれ違い、一方的になり、重くなる。決して自分の都合のいい関係だけを保てる訳ではない。それはただの自分勝手であり自己中でしかない。だから、真に疲れない生き方を実現するためには、疲れることを避けてはいけないのかもしれない。