ある生物学者の不可思議な心臓

ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命について考える。

小児が性に合う:心外導管穿刺法アブレーション入院後編

アブレーション入院の続きを書こう。アブレーションの翌日、朝9時に主治医の先生が来て、すぐに脚の付け根に何重にも貼ったテープを剥がしてくれた。テープを剥がす時は予想通りかなり痛かったが、途中から自分でやらせてもらえたため比較的楽にはがせた。テープとともに導尿カテーテルも抜いてくれて両脚が自由に動かせるようになり、体も起こして座ったり歩いてもいいことになった。最大の懸念だった尿道の痛みは、幸いにも傷ついておらず尿を出してもしみることがなかった。これで今回の入院の激痛は全てクリアしたのだ。もうあとは回復を待つだけでよい。安堵感に浸ろうと茶の一杯でもすすりたかったが、まだ絶飲食期間のため茶の一滴もすすれなかった。

 歩けるようになったことで、口が渇いた時は自分の好きなタイミングで好きなだけうがいができるようになった。豆の形をした金属の受け皿(膿盆という)と、水を入れたコップをベッドサイドのスライドテーブルに常備しておき、狂ったように何度もうがいをしまくった。ひどい時には10分に一回くらいうがいをしていただろう。しかし、うがいをすればするほどむしろ余計口が渇くようになり、このままではうがい死にしそうなので、途中から我慢することにした。

 口の渇き以上に辛かったのは、強烈な寒気だった。ガタガタと震え寒気で吐き気もした。しかもこの寒気は特殊であり、足先や手や顔などの末端部はさほど冷たく感じないのに腿や胴体、肩などの中心部分がざわざわと寒かった。こうした寒気は入院前から度々起きていて、特にアブレーション後の数日がひどかった。あまりに寒いので電気毛布を最強の温度にして、さらにもう一枚毛布をかけ、靴下を履き冬用のルームウェアを着て布団にくるまっていた。結局2日目の晩も寒気と口渇感でほとんど眠れず長い夜を過ごした。

 翌日、待ちに待った食事開始である。しかし、その前に胃カメラで食道の傷の具合を確認する必要があった。胃カメラ検査はお昼になったため、結局食事が再開したのはその日の夜になった。ただ、水分は飲んでいいことになり、おいらは早速病棟に設置された自動販売機で飲み物を買いに行った。どれにしようか迷ったが、甘いものが飲みたくなりスポーツドリンクを買った。初めはちびちびと酒をすするように水分が喉に染み込む感覚に酔いしれていたが、やがてグビグビと飲んでしまい、気づくと残りわずかになっていた。喉の渇きが癒えぬくぬくと布団に包まると、久しぶりにウトウトと軽い眠りにつくことができた。

 夜の食事は予想したほど感動しなかった。とはいえ、食事が再開するとみるみる体にエネルギーが満たされていく感覚がして活気が戻ってきた。食事が始まるとすぐに、栄養剤を入れていた点滴が抜かれ、寒気も日に日に和らいでいった。最後の2日間は携帯型の心電図モニターも外れ、体に何もついていない身軽な状態になり、3食付きのホテル暮らしのような優雅な時間を過ごした。

 今回の入院は、治療がとてもスピーディかつ計画的に進みストレスフリーな入院だった。それは小児循環器科の医師が担当だったからではないかと思う。アブレーション翌日の朝にすぐテープや導尿カテーテルを外してくれて歩けるようになったり、食事開始後は点滴もすぐ外れたり、とテンポが良かった。絶飲食の2日間も喉の傷が良くなるまでと丁寧に説明してくれたため納得できた。水分摂取量の制限もなく、できるだけ患者の負担が減るように配慮してくれている気がした。そしてさらにありがたかったのが、毎日ほぼ決まった時刻に診察に来てくれることだった。そしてそのたびに丁寧に説明をしてくれて、治療の方針に疑問を持ったりすることがなかった。

 おいらの個人的経験による非常に偏見のある想像ではあるが、もしこれが成人循環器科の医師が担当だったら、こんなにスピーディで計画的に治療は進まなかったのではないかと思う。導尿カテーテルは説明なく数日入れっぱなしになったり、水分制限がかかったり、点滴も継続したりしていたかもしれない。そして診察の時刻はバラバラで、来るときは大名行列のように大勢で押し寄せ、質問を受け付けない雰囲気すら漂っている。これでは疑問や不満が溜まりストレスが増大していってしまう。

 こうした違いが生まれてしまう背景には、患者側の特徴の違いもあるだろう。成人循環器科の患者は圧倒的に高齢者が多い。そのため、なかなか治療の効果が現れなかったりして慎重にならざるを得ない面もあるだろう。それに診察で説明しても理解してもらえなかったり、会話があまり通じないことも多い。一方、子供の場合は治療効果がすぐに現れ回復も早いのだろう。また治療の説明は大抵親が聞くため、親は患者本人以上に真剣であり、ちょっとした疑問点もしつこく尋ねてくるはずだ。そうした患者や親に日々接している小児循環器科の医師は、スピーディで計画的な治療や丁寧な説明を行うことを否応無く心がけているのかもしれない。

 おいらは、入院中のストレスは少なからず治療効果や回復に支障が出ると感じている。医師不足による激務により、患者一人一人に対応できる時間が少ないのが現状なのであろう。だから無理なお願いはできないが、将来の医療のあり方として患者のストレス軽減も重要な治療方針として配慮してほしいと願っている。

二箇所から吹き出す血の池地獄:心外導管穿刺法アブレーション入院前編

アブレーション入院から退院した。日曜日から日曜日までの丸一週間の入院だった。それぞれの日に起こったことを記録のために記し、最後に感想的なものを書いておく。

 入院初日。担当医は現在の小児循環の主治医と、もう一人やはり小児循環の若い先生だった。病棟についてしばらくすると主治医の先生からおいらと妻に今回の治療に関して説明があった。アブレーションの方法は以前おいらが調べた通りで、まずカテーテルを首と脚の鼠径部から入れて、心外導管に細い針で刺し、穴が空いたら徐々に太い針に変えて穴を大きくしていく。最終的にはバルーンで穴を広げるという方法だった。穿刺する部位やアブレーションの部位を正確に把握するために、術中は経食道エコーをし続ける必要があった。一番の難関はやはり心外導管へうまく穿刺ができるかどうかで、事前のCT検査で見ると心房と導管がくっついている箇所は極めて限られており、導管の最上部にしかなかった。心房と導管が離れていると、当然ながら穿刺した時にその間に出血するリスクが高い。最悪の場合、出血した血液が2層の心膜の間にたまる心タンポナーデになってしまう。その場合、溜まった血液をとる外科的治療が必要になり、事態は大事になる。

 穿刺部位を導管上部にした場合、足の鼠径部からのカテーテルでは角度が悪く穿刺ができない。そのため、首からのカテーテルで刺す事になった。導管は硬いため思い切り勢いよく刺す必要があり、その際に他の部位を刺してしまったりするリスクもある。穿刺が無事成功すれば、その後のアブレーションはさほど難しくなく、手術時間は約6時間と想定された。長時間かつかなりの痛みを伴うことから、人工呼吸器を口に挿入して全身麻酔下で行うことになった。今回の心外導管穿刺法によるアブレーションは前例が少なく様々な合併症のリスクも高いことから、主治医は「かなり難しい治療になります」といつになく真剣な表情で説明された。

 二日目アブレーション当日。予定通り朝9時にカテーテル室に入室した。事前においらが念を押したことが功を奏し、導尿カテーテルは麻酔後に入れてくれることになった(実際は、ギリギリまで病室で入れる話になっていた)。カテーテル室に入ると、体と同じくらいの幅の狭い手術台に上り、身体中に様々なモニターを貼り付けられた。直径10cmほどの円盤状のモニターを背中と胸に2枚ずつ、赤黄緑の心電図モニター、自動計測血圧計、指にサチュレーションモニター、電気ショック用の湿布状のシールといったものである。麻酔後にはさらに導尿菅、点滴ルート、筋弛緩モニターの電極などがつけられた。横になりマスクで麻酔ガスを吸うと数十秒で効いて意識がなくなった。

 どこで目を覚ましたかはっきりとしないが、おそらく病棟のベッドに戻った時だろう。ちらっと見えた時計では夕方5時を過ぎていて、約8時間かかったようだ。目が覚めて意識が戻ってくると共に凄まじい寒気、吐き気、息苦しさに襲われ、間も無く思い切り吐血した。粘液と混じった血液だった。酸素マスクをしていたから、吐血液はマスク内にたまり溺れそうになった。吐血したのは、人工呼吸器と経食道エコーにより食道がかなり傷ついたためであり、血と粘液は4、5回ほど吐いた。やっと少し落ち着いたので妻と面会すると、間もなく新たな事態が発生した。左脚鼠蹊部の穿刺部位から血が吹き出したのだ。おいらには見えなかったが、その量はかなり大量だったらしく、血がお尻の周りに池のようにたまるほどだったようだ。医師が駆けつけて思い切り抑えて止血し、ある程度たったら一度貼ってあったテープ類を貼り直した。ところがまた出血し始め、結局止血とテープの貼り直しを2回行った。2回目は念には念を入れ親の仇のように強力なテープを何重にも貼り付けた。

 やっと落ち着いたのは7時過ぎで、もう妻は帰っただろうと思っていたら、ずっと待っていてくれた。再び面会すると涙が出そうになったが、しばらく手を握っていると気持ちが安らいでいった。翌朝まで足を固定されてほとんど身動きできない状態で過ごした。食道が傷ついているため、2日間絶飲食になった。幸運なのは、右脚は比較的すぐに曲げたりして動かして良いことになり、そのため身体の向きを少し変えることができ、背中の床擦れを防げた。また、薬を内服する時だけは水分を飲んで良く、ここぞとばかり普段より多く水分を使って飲んだ。その晩は強烈な口の渇きと息苦しさ、身体のだるさの中眠れぬ長い夜を過ごした。

 簡潔に書くつもりが長くなってしまったので、今回はここまでにしたい。次は、3日目以降の絶飲食期間とその後の回復期、感想をお伝えする。  

アブレーションであぶねえ小便

明日からカテーテルアブレーションを受けるため入院する。期間はわからないが、問題が起きなければ1週間くらいであろう。以前にも書いたように、過去に受けたアブレーションでは長時間の激痛を伴ったため、今回もそうならないかという不安で頭が一杯になる程だった。先日の術前診断で、医師から全身麻酔下でやることを告げられ、心の中でガッツポーズした。

 とはいえこれで一安心するのは早計で、もう一つ大きな関門が残っている。それは、導尿カテーテルを入れることである。導尿カテーテルは男性の場合、とてつもない痛みを伴う。まず入れる時。これはおそらく麻酔で眠った後にやってくれるだろうから大丈夫だろう。ちなみに、麻酔前に入れたことも何度かあるが、そのあとはうぎぃいいいと呻きながら全身が震えるほど痛い。そして抜くとき。こちらは麻酔が覚めて意識がある中で抜くことになるだろう。ただ、おいらの経験では、入れるときに比べると一瞬で終わる上、痛みも5分の1くらいだ。まあだからそれほど恐れてはいない。

 最も心配なのは、導尿カテーテルを入れた際に尿道が傷ついた場合だ。そのときはカテーテルが外れた後尿をだすたびに傷口に染みて、まるで熱した火箸を尿道に突き刺しているかのようなおぞましい痛みが走る。その時もまた痛みで全身が震えてしまい、そのたびに震えて尿が飛び散るのを必死に抑えなくてはいけなくなる。痛みと震えと呻き声を必死に耐えながら尿をする姿は、自分のことながらうんざりするほど情けなくなり、なんでおいらは尿をするだけで3重の苦を耐えなければならないのかと、この時ばかりは自分の運命を呪ってしまう。痛みは傷が回復するまでおおよそまる1〜2日かかる。

 ただし、この痛みは尿道が傷ついていなければ起らない。傷がついているかどうかは、管を抜いた後初めて尿をした時にわかる。それは最も緊張する瞬間である。バンジージャンブを飛ぶ前のように、中身の見えない箱に手を突っ込むかように、恐怖で何度もためらい引き返してしまう。そしていざ覚悟を決めた時には、呼吸を整え歯を食いしばり目を閉じて、ゆっくりと力を抜いていく。もしこの時トイレではなくベッド上で尿器を使って出す場合には、細心の注意を払わなくてはいけない。激痛で身悶して尿器から外れれば、ベッドがビシャビシャになってしまうからだ。

 幸いにも尿道が傷ついておらず痛みがなかったならば、底知れぬ安堵感で深く息を吸い込むことであろう。これでアブレーションの戦いは終わった。おいらはアブレーションで痛みや苦痛をほとんど感じずに乗り切ったのだ*1。その勝利の余韻をより深く味わうために、自販機でお好みのジュースを買いちびちびと飲むのだ。

 今回はアブレーション後の尿にまつわる情けない不安を長々と書いてしまった。しかし、見方を変えれば、尿一つにも一生忘れられないドラマがあり、そこには恐怖、不安、痛み、安堵、喜びが詰まっている。だからもしあなたが人生に退屈していたり、何か変化を求めているのならば、導尿カテーテルをやってみるのも良いだろう。

 

*1 実際には、穿刺部の止血のために腹部や腿にがっつり貼っているテープを剥がすのも相当痛い。丁寧な看護師さんや医師が剥がしてくれるときには、テープリムーバーを塗ってゆっくり剥がしてくれるが、雑な人だと容赦なくベリベリ剥がす。その時には皮膚が一緒に剥がれたかと思うほど痛い。

男はつらいよーポテトサラダ記念日

7月に入り、気持ちが落ち込んでいる。以前のように日々の暮らしの中に喜びをあまり感じることができず、毎日時間が過ぎるのを待つように過ごしてしまっている。もしかしたら鬱なのだろうかと、ネット上のうつ診断チェックを片っ端からやってみると、予想通り全部鬱の兆候ありだった。中には重度判定になったものもあった。そんな気分だから、自分自身にも他人にも優しい気持ちになれず、ついイライラしてしまう。今まではそんなこと思ったこともなかったのに、他人の幸せをうらやむになった。これはまずい、ということで自分が悩んでいる問題点を整理してみることにした。

 

仕事:やめたいけど、やめたらもっと収入が悪くかつ体にきつい仕事しかない。

研究職の夢:ほぼ完全に可能性がなくなった。

家庭:各個人が個別に行動するようになり、毎週末孤独。

外食:食べられるものがほとんどない。特に最近は、下手に外で食べると著しく体を壊す。不整脈もでる。

将来の夢:なにもない。できれば新天地で暮らしてみたいが、仕事、病院、家族の生活、どれも一から築く体力がない。

病気:年々悪くなるばかり。毎晩苦しくて夜中に起きてそのあと寝られない。

お金:4月から給料もかなり下がり、毎月の生活費も若干赤字。

趣味の釣り:南の島は意外と全然釣れない。釣れても美味しくない熱帯魚。しかも夏場激暑。最近は体力も厳しい。

環境:温泉、涼しい森や川、高原がない。海は素晴らしいが一人では危なくて泳げない。

 

 どれも些細でなんとでもなりそうなことであり、なにより他力本願である。何か楽しめることや喜べることを見つけて、自分自身で人生を充実させるしかないのだ。それはそうなのだが一方で、辛いことや制限が多すぎる中で、無理やり楽しみを見つけて生きることに虚しさも感じてしまう。本来は、そんな無理に楽しもうとしなくても、自然と喜びや幸せを感じられるものじゃないのだろうか。

 そんなネガティブ思考に取り憑かれたときに、ネットでポテサラ論争なるものが起きた。これはツイッターでの以下のツイートから端を発したものである。

”「母親ならポテトサラダくらい作ったらどうだ」の声に驚いて振り向くと、惣菜コーナーで高齢の男性と、幼児連れの女性。男性はサッサと立ち去ったけど、女性は惣菜パックを手にして俯いたまま。私は咄嗟に娘を連れて、女性の目の前でポテトサラダ買った。2パックも買った。大丈夫ですよと念じながら”   

 この男性の言動に対し、惣菜を買ってはいけないのか、ポテサラは手間がかかる料理だ、と避難が集中したのだ。おいらも最初、こうした男性の上から目線の失礼な態度は嫌だなと思ったのだが、一方でこの男性は今のおいらと同じような心境だったのではないだろうかと思い寂しくもなった。

 この男性がそうだったかはわからないが、高齢の男性の中には、仕事を退職し、日々やることがなく退屈な日々を過ごしている方は少なからずいるだろう。ショッピングモールで大型テレビの前にパイプ椅子が並べられたスペースがあると、多数のおじさんたちが座っているのをよく見かける。家族や友人など一緒に遊ぶ相手もおらず、誰かに何か頼まれたり必要とされることもない。ただただ毎日が空虚に過ぎていく。そうした状況を自分でもなんとか変えたいと思いつつ、でもどうしていいかわからず、それが焦りとなって苛立ってしまう。そんな感情の中で、子育てや日々の生活で忙しくも幸せそうな女性が羨ましくそしてどこか腹立たしく感じたのかもしれない。もしこの男性が日々の生活が充実して幸せに満ちていたならば、あの様な言動を取っていただろうか、とおいらは思ったのだった。

 おいらもネガティブな感情にいつまでも振り回されていてはいけない。このままでは、ポテサラおじさんのようにいつか誰かを傷つけてしまうだろう。もうすでに傷つけているかもしれない。だから、上であげた問題を一つずつ解決していこう。そんなわけで今日も一人ショッピングモールに行き、来週の入院に備えて超気持ち良さそうな寝間着を買い、惣菜の寿司を満喫した。

 

 余談だが、死ぬほど暇なおいらはポテサラは全く手間に感じず、月に一度ほど自分好みのポテサラを大量に作っている。作るたびにより美味しくなるよう改良を重ねるので、むしろ手間がかかる方が楽しいぐらいである。惣菜のポテサラは塩分、脂肪分が多いため、おいらはマヨネーズ控えめでその分プレーンヨーグルトを加えて、滑らかさとさっぱりとした味わいに仕上げている。ポテサラおじさんも、手間がかかるのを実感しろ、というわけでなく、ポテサラ作りは楽しいので作ってみたらいいのになと思う。 

穿刺で戦死

今年の上半期は、ここ3年ほどの中でも特に心臓の調子が悪い半年となってしまった。1月にはカテーテル検査中に心室細動を起こし、死ぬかと思うほどの苦しみを味わった。その後も心房細動や心房粗動が月に2、3回おき、その度に電気ショックを受けた。さらにペースメーカーが不調になり、度々ペーシング不全になった。現在はセンシング不全も起きている。不整脈やPM機能不全になるたびに、倦怠感、息苦しさ、疲れやすさ、心不全等の症状が現れ、日常生活を送るのさえ一苦労だった。追い討ちをかけるように、不整脈アミオダロンの長期服用の副作用で甲状腺機能低下症になり、強烈な寒気と倦怠感に襲われたりもした。このままでは心臓が確実に弱っていくのは明らかであり、不整脈とペースメーカーの治療が喫緊の課題になった。

 その第一弾として、今月末にまずカテーテルアブレーションによる不整脈治療を受けることが決まった。しかし、心外導管型フォンタンの患者にとって、通常のカテーテル手法は使えないという大きな問題がある。なぜなら、カテーテルを心房に到達させるルートがないからだ。厳密には、大動脈から心室に入り、そこから強引にカテーテルの管を曲げて、心房に入る逆行性アプローチがある。しかしそのためには、何枚もの弁を通らなくてはならず、かつ心房までの経路が複雑に曲がっているため、極めて難しい方法となってしまいリスクも高い。その代わりとして編み出されたのが心外導管穿刺法という、それはそれでまた難易度の高い手技である。

 心外導管穿刺法とは、名前の通り心外導管からカテーテルを突き刺して、さらに右心房の壁も貫通させ、カテーテルを到達させようという方法である。そこには数々の困難が待ち受けている。まず、大腿静脈からカテーテルを入れ、心外導管まで到達させる。そして、カテーテルの先端からブロッケンブロー針と呼ばれる穿刺針を出し心外導管の壁に突き刺す。しかし、針が導管の壁を滑ってしまい、容易に刺さってくれないことも多い。その場合は、スネアと呼ばれる別のカテーテルで針を固定したり、針のついたカテーテルをより鋭角に曲げたり、それでもダメな場合は高周波エネルギー経中隔穿刺針と呼ばれる特殊な針で刺したりもする。

 しかし、問題はそれだけで終わらない。なんとか針を刺せてもカテーテル本体が太くて入らないことがある。その場合は、導管に開けた穴をバルーンで拡張させるといった一工夫が必要になる。この一連のプロセスを確実かつ安全に行うためには、事前にCT検査等により心臓や血管の構造を3次元的に十分把握しておく必要がある。また、穿刺の際には放射線透視・血管内エコー・経食道エコーのモノクロで不鮮明な画像を頼りに、間違いなく針を刺さなければならない。想像するだけで恐ろしく難しそうである。こうして、なんとかカテーテルを心房内に到達できたのちに、電気生理検査とアブレーションのプロセスに進むことができる。

 心外導管穿刺法が行われ始めたのは、まだ新しく2009年ごろからのようだ。その後実施例は限られてはいるものの、2018年ごろには一連の手法が確立して、より安全に行えるようになった。国内でも2012年から実施例が報告されている。

 今回は、心外導管穿刺法について自分の理解の整理と記録のために、医学書のように淡々と解説してしまった。きっと読んだ方は退屈だったに違いない。しかし、知識が整理できたおかげで、おいら自身は今度受けるアブレーションへの不安や恐怖心が少し和らいだ。でも本音はこうした知識はさして重要ではなく、目下心配なのは、このアブレーションを全身麻酔か無意識状態でやってもらえるかどうかである。過去4度アブレーションを受けたことがあり、2度は無意識下でやってもらえたが、2度は意識がはっきりあり激痛でトラウマになった。今度のアブレーションはこれまで以上に困難であることが予想され、もし意識があれば次こそ戦死するに違いない。だから事前説明の際には、無意識状態でやってもらえるようなんとしてでも懇願しようと思っている。

 

参考文献

平松健司. (2016). 成人先天性心疾患に対する外科治療成績と問題点. 京二赤医誌, 37, 2–6.

Laredo, M., Soulat, G., Ladouceur, M., & Zhao, A. (2018). Transconduit puncture without per-procedural echocardiography in nonfenestrated extracardiac Fontan using a simplified approach guided by electroanatomic mapping. Heart Rhythm, 15(4), 631–632.

Mori, H., Sumitomo, N., Muraji, S., Imamura, T., Iwashita, N., & Kobayashi, T. (2020). Successful Ablation of Atrial Tachycardia Originating from Inside the Single Atrium and Conduit After a Fontan Operation. International Heart Journal, 61, 174–177.

Uhm, J. S., Kim, N. K., Kim, T. H., Joung, B., Pak, H. N., & Lee, M. H. (2018). How to perform transconduit and transbaffle puncture in patients who have previously undergone the Fontan or Mustard operation. Heart Rhythm, 15(1), 145–150.

Correa, R., Sherwin, E. D., Kovach, J., Mah, D. Y., Alexander, M. E., Cecchin, F., … Abrams, D. J. (2015). Mechanism and Ablation of Arrhythmia Following Total Cavopulmonary Connection, 318–325.

Aoki, H., Nakamura, Y., Takeno, W., & Takemura, T. (2014). 心外導管を用いたFontan術後の頻脈性不整脈に対して経皮的心外導管穿刺でカテーテルアブレーションを行い成功した 4 例. 日本小児循環器学会雑誌, 30(5), 592–596.

どんな抗生物質や修行も効かないことがある

数週間前から虫歯の治療を始めた。正確には、初診は歯や歯茎の状態のチェックで、2回目、3回目は歯石や沈着汚れを掃除をしてもらい、治療が始まったのは4回目だった。先天性心疾患業界ではもやは常識となっているが(そもそもそんな業界があるかは置いておいて)、虫歯は先天性心疾患患者にとって極めて危険な存在である。それは、虫歯や歯周病といった口内の病気を持っていると、そこから細菌感染が起こり感染性心内膜炎という死亡率の高い症状が起こりうるからだ。

 とはいえ、虫歯の治療自体もリスクを伴う。特に抜歯など大量に出血する治療の場合には、そこから感染が起きかねない。だから出血を伴う治療をする前には、抗生物質を飲んで予防をすることが重要である。ところが、先天性心疾患患者は闇雲に抗生物質を使ってはいけないとおいらは教えられてきた。というのは、抗生物質は使い続けると効かなくなるという性質があるため、特定の種類の抗生物質は将来の手術用に使わずにとっておく必要があるからだった。だから、歯の治療をする際には、事前に心臓の主治医と相談し、どの抗生物質を使って良いかを確認した上で治療を受ける必要があった。おいらはその教えを忠実に守り、子供の頃に治療して以来歯科医院に行くのをずっと避けていた。

 今回の治療を始めるよりしばらく前、現在の心臓の主治医に歯の治療について尋ねたことがあった。すると、あっさり特に問題なくしても良いと言われてしまった。ただ、やはり親知らずを抜くなどの大量出血を伴う場合は、なるべく避けて欲しいとのことだった。それは感染症のリスクもあるが、ワーファリンを飲んでいるために止血が難しいためでもあるようだ。抗生物質に関しては特に手術用にとっておく種類があるというわけではないようだった。もうおいらが歯医者に行かなくていい正当な理由はなくなった。むしろ、心内膜炎などのリスクを考えれば、酷くなる前に積極的に行ったほうが良いのは明らかだ。そんなわけで、おいらは約30年ぶりにようやく重い腰をあげたのだった。

 歯の治療はともかく痛くて怖いというイメージがある。実際職場の人に話をすると、皆超痛いと口を揃えていった。でもこの数年間数々の激痛治療を耐え抜いてきたおいらには、並みの痛みでは屈せず、むしろどんだけ痛いのか期待すらしていた。まず初診の歯茎チェックでは、血が出たりズキッと痛かったりすると脅されたが、残念ながら全く痛みがなかった。2回目、3回目の歯の掃除でも、マッサージを受けているように気持ちよく眠りそうになった。やっぱり、予想通り超余裕だったな。こんなんで痛い痛いと弱音を吐いているようじゃ、お前らまだまだ修行が足りんのうと悦に入っていた。

 そして4回目、いよいよ本格的治療。前回までは主に歯科衛生士の方が担当してくれたが、治療は当然ながら医師がおこなった。その先生は歯の治療は皆とても怖がるということを心得ており、なるべく怖がらせないよう治療を始める前に、「麻酔を使った治療はしたことがありますか」と優しく聞いてきた。フッ。野暮なこと聞かないでくれよ。このおいらを誰だと思っているんだね。麻酔なんてここ数年打ちまくられてきたぜ。首や鼠蹊部や肋骨や胸骨の周りに麻酔するのに比べたら、全然怖くないぜ。と余裕をかまし、全然大丈夫ですと答えた。それでも医者は「ちょっとちくっとしますよ」ととても優しく声をかけ、麻酔薬もゆっくりと慎重に入れていった。やっぱり予想通りほとんど痛くなく余裕だった。

 だがしかし、おいらの強がりとは裏腹に、麻酔を打っている途中から顔面がぴくぴくと痙攣し始めたのだ。特に唇の痙攣が酷く、医師は麻酔をしながら時々唇を伸ばしたり抑えたりして止めようとしていた。いやこれは麻酔を打っているから神経がおかしくなって痙攣しているだけだ。決してビビったからではない。心ではそう思い続けた。でも実際は、麻酔を打たれている方とは反対側の遠い部分が最も痙攣し、そのうち手も震え心臓の拍動も早くなっていった。おそらく内心超ビビって極度に緊張していたのだろう。ようやく麻酔が終わり、うがいするよう言われると徐々に震えや痙攣が和らいでいった。

 ショボ。これまでの修行全く役立ってないじゃん。誰だよさっきまで悦に入って余裕かましてたやつ。心の中で自分で自分に思い切りつっこんでいた。実際は麻酔もその後のキュイーンと削られる治療もさほど痛みはなく、逆になおさら自分のショボさを際立ててしまった。結局どんなに痛い治療を経験していようと、慣れていないものには怖いのだ。

 今週もまた治療がある。もしまた削るような治療になりそうなら、なんとかそうしないで済む方法がないか相談し、場合よっては治療を保留しようかと今からドキドキしている。

父の休日

世間では今日は父の日で、家でご馳走を食べたり、家族からプレゼントや感謝の言葉をもらったり、といったお父さん方もいたかもしれない。しかし、おいらには全く無縁のごく普通の休日だった。父の日を意識したわけではないが、朝息子に今日はどこか出かけようかと誘ったが、いつも通りあっさり断られた。中学2年の息子にとって、休日に親と出かけるなんてダサくて面倒くさいだけなのだ。じゃあ、妻と二人で出かけるかというと、ここ数年二人で出かけたことなどなく、今更出かけたところで困惑するだけだ。それに妻の方も、おいらと二人で出かけるなんて息子以上に嫌だろう。そんなわけで、息子が断った時点でおいら一人の休日が確定した。

 とりあえず、ようやく再開した近所の図書館に行くことにした。面白そうな本を探したり、論文書きを進めたかったからだ。でもその前に腹ごしらえしようと、まずは近所のショッピングモールに出かけた。コロナ自粛明けで普段以上に混んでいる。マスクをしようと持ってきた新品マスクを装着すると、1分と経たず紐が外れて使い物にならなくなった。でも、そんなこともあろうかともう一つ別の種類のマスクも用意しておいた。ところが、もう一つの方はサイズが合わず、無理やり耳に引っ掛けると、片方の耳が潰れそうになる程引っ張られた。さらに隙間がないから10分とたたずめちゃめちゃ息苦しくなり、結局マスクをつけるのは早々に諦めた。

 ショッピングモールの中は、いたるところに父の日を宣伝するポスターが貼られていた。父の日にプレゼントを、とか父の日に感謝の気持ちをといった文字がどこを見ても視界に入った。まあおいらには関係ないことだ、と特に悲しみも寂しさもわかず、むしろお祭りムードに楽しんですらいた。思えば、若い時も、クリスマスやらバレンタインデーやらもそんな感じだった。恋人と過ごすロマンチックな夜などおいらには無縁な話だった。

 モールでは食料を調達する前に、無印に行き夏場の喉を潤すための水出しルイボスティーを買った。マスカットのフレーバーがついた超女子力高いやつだ。用意周到なおいらは、家を出るときにステンレスボトルに氷と水を入れておき、水出しティーを買うとすぐにボトルの中に入れた。しばらく買いもしないのに眼鏡屋でメガネを何個か試着したりブランドの服を触ったりして、やはり女子力高めのウインドーショッピングを楽しんでいるうちに、ちょうどいい具合にボトル内が攪拌され、短時間で味が出ていた。カラカラに乾いた喉を氷でキンキンに冷やされた水が潤し、甘いマスカットの香りが鼻を抜けると、ぱあっと世界がマスカットの薄い黄緑色に輝いて見えた。

 さあ、次はお楽しみの食料調達だ。レストランとかで食べようかとも思ったが、まだ時間が早くスーパーの惣菜コーナーで何か買うことにした。父の日ということもあって、いつも以上に豪華な惣菜が並んでいる。どれも美味しそうでなかなか選べずにいたが、ようやくその中でひときわそそられる一品が見つかった。デカ盛りのカツ丼である。思えば、6年前に蛋白漏出性胃腸症を発症して以来、胃腸に負担のかかる脂肪分の多い豚カツやカツ丼は全く食べていなかった。カツ丼弁当を手に持つと、ずしりと重い。こんなの食べたら間違いなく蛋白漏出性胃腸症が悪化するだろう。うーでもたべたい。いやだめだ。どうしよう、どうしようと惣菜コーナーで立ち尽くしていると、悪魔の誘惑が聞こえてきた。

「今日は父の日だよ。特別な日じゃないか。どうせ誰もプレゼントくれないんだろう。だったら自分で自分にご褒美あげちゃおうぜ。」

 おいらが、そうだよね、久しぶりにいいよね。特別だよね。とあと一歩で誘惑に負けそうになったとき、急に嫌な悪寒がした。スーパーの強烈な冷房と、キンキンに冷やされたマスカットルイボスティーを飲んだために、おいらの体は外と内からガンガンに冷やされていたのだ。一旦そうなると寒気で気持ちが悪くなり、カツ丼どころか何も食べれなそうな気分になってきた。結局カツ丼は諦め、もう少しボリューム控えめの天津飯弁当を買った。その後、ぶるぶる震えながらサウナ状態のように蒸し暑い車の中で、天津飯弁当を食べると、ようやく悪寒が収まった。

 だいぶ長くなってしまったのでここからは短く話そう。腹が収まり図書館に行くと、また冷房で寒気が出てきてしまった。早々に図書館を出て隣の自習室に行くとここは温度がちょうどいい。しかも、ソーシャルディスタンス確保のために一人の机スペースがとても広く、フリーWiFiも飛んでいてすごく快適な空間だった。おかげで予想以上に論文書きがはかどった。

 気分が良くなったので、帰りにコンビニでアイスでも買っちゃおうよ、とまた悪魔の誘惑に誘われたが、午前中の寒気を思い出してそこは留まった。代わりに、以前から気になっていたステンレスボトルの内側についた茶渋を取るため、酸素系漂白剤をドラッグストアで買って帰った。早速家でボトルを漂白剤につけてしばらく置くと、新品のように綺麗になり、世界がステンレスの銀色に輝いて見えた。その後、洗濯物をたたみ夕飯の準備をしていると、ようやく家に家族が揃い皆で夕食を食べた。今日の夕飯はひき肉400gを使った肉たっぷりミートソースにした。昼間のカツ丼を控えたのがすっ飛ぶくらい脂ギトギトだった。

 くだらない話でだいぶ長くなってしまったが、このおいらの休日を孤独で寒くて好きなものも食べられずマスクも壊れる虚しい一日と見るか、黄緑色や銀色に輝きやりたいことに集中でき女子力アップの素敵な一日と見るかは、あなたの自由である。