ある生物学者の不可思議な心臓

ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命について考える。

これだけはお前らに約束する。

先日、何年かぶりに旧友二人からメールをいただいた。それぞれの近況を話してくれて、おいらも自分の近況を話し、久しぶりの会話にとても嬉しかった。その二人のメールとは別においらに朗報のメールが届いた。投稿していた論文が雑誌に掲載される見込みとなったのだ。論文の掲載は、研究者にとって最も嬉しい瞬間であり、愛の告白が成就したような気分になれるのだ。

 さらにもう一つ、おいらにとっては喜ばしいというか、少し胸をなでおろした出来事があった。ご存知の通り、数日前首相が辞任を表明したことだ。先日も書いたように首相個人の病気については、それを理由に差別や誹謗中傷をしては絶対にいけないと思っている。それはそれとして、正直言うと彼が行ってきた政治には心底うんざりしていた。それがやっと終焉を迎え、頭の片隅に常に居座っていたどんよりとした不快感がほんの少しではあるが取り除かれた気分になれたのだった。そんなわけで、一つ一つはとても些細なことだがおいらにとって喜ばしい出来事が重なり、いつになく穏やかな気分に浸ることができた。

 そんな他人にはどうでもいい話がしたいわけではない。本題は、最初に紹介した旧友のメールの中にあった一言だ。それは「困難はそれを乗り越えられる人のところにくる」という言葉であった。この言葉を見たとき、以前ツイッターで先天性心疾患を持つご本人かその親御さんが似たような言葉を知人から言われ、とても嫌だったとツイートしていたことを思い出した(「神はその人が乗り越えられる病気しか与えない」だったかもしれない)。そのツイートには多くの賛同リプライがついており、嫌悪感や怒りが共有されていた*1。

 確かに、本当に重い病気を抱え日々苦しんでいる方々には、こうした励ましの言葉はかえって傷ついてしまうかもしれない。好きで病気や障害を持ったわけではないのに、自分の病気はなるべくしてなったと言われているように感じるからだ。とはいえこうした言葉に敏感に反応し傷ついていては、自分自身が消耗してしまう。

 そこで、今とても心がおおらかなでなんでもwelcomeなおいらだったら、江頭2:50ばりの返しをしてむしろ前向きにその言葉を受け止めたい*2。

 

  病気はそれを乗り越えられる人のところにしかこないものだよ。

えー!この病気半端ないよ。俺に期待しすぎだぜ。

 期待じゃなくて、実際あなたは病気を乗り越えられる強い人だと思うよ

俺、とんでもなくマゾじゃん。確かに、これまで数々の激痛も乗り越えてきたよ。注射するときもガン見しちゃうし、なんならどんだけ痛いのか期待しちゃうからさあ。 

 いや、そういうことでもなくて。

そうか、わかった!これを乗り越えたら超グレイトな特典があるのか。後々100億円くれるとか。そりゃたまんねえな。伝説作っちゃうよ。

 それはちょっとわからないけど。

 なに?特典なしの激痛だけ?! おい、そりゃないよ。今時若手芸人でもやらないぜ。

でも、俺はずっと戦っていくからな!

病気がどれだけ俺を苦しめようと

俺は全部乗り越えてやるからな!

これだけはお前らに約束する!

 

*1 どうか旧友のメールに悪い印象を持たないでほしい。おいらは、旧友を非難したいわけでは決してない。旧友のメールの言葉は、おいらに対してではなく自分自身に対して書いた言葉であり、仮においらに対して言っていたとしてもおいらは全然嫌にならないだろう。そして、あえて恥ずかしげもなく言えば、旧友は大学時代の親友であり、おいらは彼を心より尊敬し憧れを抱き、紳士的な男だと思っている。その気持ちは今も全く変わらない。これだけはお前らに約束する。

*2江頭2:50風のセリフは、ネットで検索した江頭名言集を一部借用した。ただし、それを実際に本人が言ったかどうかの真偽は定かではない。

なおざりな差別

先日、首相が辞任を表明した。持病が悪化し職務を全うできないというのが主な理由だった。これに対してある野党の議員が「大事な時に体を壊す癖がある危機管理能力のない人物」という明らかな差別的発言をして、強い批判にさらされている。おいらも障害を持つ一人として、このようなことを言われたらとても傷ついてしまい、とてもじゃないが許容できない。

 一方、以前こんな記事を書いた。

susukigrassland.hatenadiary.jp

 

 これは、重度障害者の国会議員に対し「障害者に国会議員が務まるのか」という批判が沸いたことへの恐怖や不安を書き綴ったものであった。記事の中でも書いたが、その時には「まともに仕事ができるのか。健常者が議員になって代弁すべきでは」といった意見が、テレビでごく普通に流されていた。おいらは、社会の中に潜む障害者に対するあまりに深い偏見や差別意識が垣間見えて、正直本当に恐ろしかった。

 今回の野党議員の発言に対する批判は、表面的に見ればそうした差別意識への強烈な批判であり、その通りに思う。でも、実際そうした批判をしている人々の中で、いったいどれほどの人が本心で障害への差別を批判しているかは正直疑問がある。ツイッター等のネット上の批判コメントを見ると、本当は障害者差別はあまり重要でなく、野党議員を非難したいだけなのであろうと感じるものが多い。短いコメントの中でその真意はわからないので断定はできない。ただ、障害者差別が右左間のイデオロギー論争の材料になってしまっているのは確かだろう。そして本来議論すべき障害者差別の問題は、結局放置されていってしまう。

 この国からあるいはこの地球上から、障害者差別がなくなる時が来ることはあるのだろうか。もしあったとしても、それはまだ遠い未来になるだろう。今回は批判的なことを書いてしまったが、批判したところで障害者差別は解決できないと思っている。おいらがこのブログを通してできることは、障害があろうとなかろうと生命は美しく輝いていることを証明することである。

 

P.S. おいらは、障害を持つ人でも重い責任のかかる職務を十分に遂行できると考えている。その方法については、またいつかの機会にお話ししたい。

痛みの緩和術

今回は、おいらはこれまでの闘病経験で、痛み、苦しみ、辛さからなんとか逃れようとした時に実践したことを紹介したい。これはある程度病気で痛い思いや辛い思いをされた方であれば、おそらく誰しもが似た経験をされていると思うので特に目新しいことではないが、一つの小話としてお聞きいただければ幸いである。

 

痛み緩和力10%:テレビを見る、本を読む、ゲームをする。

テレビ、本、ゲームはいい暇つぶしになり気がまぎれるので、痛みの緩和手段として有効そうに思える。しかし、実際のところこれらは精神的肉体的に相当ゆとりがなければできるものではない。例えば、テレビ。痛みや苦しみが強いときは、テレビのある方向に体を向け続けるのが辛いのだ。さらに、言葉やストーリーを理解するのも辛い。極め付けは、バラエティー番組などでの笑い声や騒がしい会話は、あまりに鬱陶しく痛みを増長してしまう。本やゲームも同様である。ともかく、ストーリーを理解したり考えたりするなんてゆとりはないのである。そんなわけで、テレビ、本、ゲームは緩和力はほとんどないのである。

 

痛み緩和力30%:音楽を聴く。

音楽は頭を使わず聴き流せるので、テレビなどよりはるかに受け入れやすい。静かな音楽を聴けば気持ちがリラックスするし、体の向きを気にする必要もない。それに医療機器のピコピコ音もかき消してくれたりもする。ただ一つ厄介なのは、特に入院している時にはイヤホンで聴かなくてはならず、イヤホンのコードが非常に鬱陶しくなることだ。ただでさえ身体中に管やケーブルがたくさんまとわりついているのに、さらにコードが増えしまっては元も子もないのである。また、イヤホンを長時間つけていると耳の穴が痛くなってきたりもする。結局、音楽の緩和力は長時間続かないのだ。

 

痛み緩和力50%:人と会話する。

テレビや本と違い、人と会話することは意外と頭を使わずに楽にすることができる。ゆっくりと自分のペースで話したり、たわいのない会話をすれば、ふっと痛みを忘れて時が過ぎていることもある。また、痛みや苦しみの辛さを人に話すことで、気持ちが落ち着いたりもする。何より誰かと一緒にいるということ自体が、不安や孤独感から逃れられ安心できるのである。がしかし、それも話相手による。テレビのように一方的に話しまくる人だったり、元気な時でもうんざりするような愚痴や悪口、あるいは自分自慢、お節介な忠告やアドバイスなどを言う人はどっと疲れて辛くなる。さらに、水分制限で常に強い口渇感がある時には、会話すると口の中がパッサパサになるほど乾いてしまうのである。一度それで喉の奥が張り付いて呼吸困難になりかけたことがある。会話の緩和力も常に有効ではないのだ。

 

痛み緩和力70%:飲む食べる。

食いしん坊万歳のおいらにとっては、飲むこと食べることは痛みや苦しみを一時的に忘れ幸福感に浸れる強力な手段である。入院中3度の食事時間は最大の楽しみであり、食事をしている間だけは(たとえ、あまり美味しくなかったとしても)、生きていてよかったと思える。しかし、そんな強力な手段も万能ではない。絶飲食の時は全く役に立たないどころか、幸せを奪われた絶望感で苦しみが増すのだ。それに手術後間もない頃は全く食欲が湧かず、あんなに楽しみにしていた食事がむしろ苦痛になってしまうこともある。というわけで、飲食もまた緩和術としては完璧ではない。

 

 ここまで紹介した方法はどれも痛みを確実に緩和できるものではなかった。むしろ場面によっては痛みを増幅してしまうリスクすらある。では、どんな場面でも効力のある緩和力100%の方法はないのだろうか。実は、ただ一つそんな完璧な緩和術があるのだ。それは、人に触れる触れられることである。

 人の温もりは究極の麻酔である。おいらはこれまで激痛に襲われたときは、いつも看護師さんや家族に触れることで、痛みを耐え忍んできた。手を握ったり顔を撫でたり背中や腕をさすったりしてもらうと、ふわっと体から力が抜け、痛みがわずかではあるがでも確実に弱まるのである。先日のアブレーション入院でも、術後目が覚めて強烈に苦しかった時は、看護師さんの手を思い切り握って耐えていた。翌日、悪寒とだるさで辛かった時には妻が背中に手を当ててくれた。その手から伝わる温かみは、カイロとは全く異なる体の芯までじわりと伝わる温かさだった。

 なぜ人の温もりにそのような鎮痛効果があるのかはわからないが、おそらくそれは長い生命進化の中で培われてきた能力なのだろう。人に近い霊長類だけでなく、多くの哺乳類が同種の仲間とスキンシップをとっている。それは意思疎通だけが目的ではなく、お互いに安心させるための役割が大きい。哺乳類の中の霊長類、その中の類人猿になるほどその役割は強化され、そして人では安心効果(鎮静効果)を超えて鎮痛効果まで発揮するに至った。母親が子供の痛い部分に手を当てて「痛いの痛いの飛んでいけ」とやるのは、ただのおまじないではなく本当に効果があるのである。

 これはあくまでおいらの想像であるが、今日人類が地球上の覇者になれたのには、この最強の痛み緩和術も一役担っているだろう。人は、他の動物では到底到達できない新天地に進出し生息範囲を広げていった。その道中では巨大な山脈や大海原、極寒の地や灼熱の大地もあったが、そうした厳しい環境下でも人がお互いに触れ合うことで苦しさを和らげ、勇気付けられ、先へと進むことができた。どんな過酷な状況でも手に手を取り合うことで次の一歩を踏み出せたのだ。

 だから、あなたも目の前に苦しむ人がいたならばそっと触れてあげてほしい。あなたのその手は全知全能のいかなる神よりも、その人を癒してくれるはずだ。

小児が性に合う:心外導管穿刺法アブレーション入院後編

アブレーション入院の続きを書こう。アブレーションの翌日、朝9時に主治医の先生が来て、すぐに脚の付け根に何重にも貼ったテープを剥がしてくれた。テープを剥がす時は予想通りかなり痛かったが、途中から自分でやらせてもらえたため比較的楽にはがせた。テープとともに導尿カテーテルも抜いてくれて両脚が自由に動かせるようになり、体も起こして座ったり歩いてもいいことになった。最大の懸念だった尿道の痛みは、幸いにも傷ついておらず尿を出してもしみることがなかった。これで今回の入院の激痛は全てクリアしたのだ。もうあとは回復を待つだけでよい。安堵感に浸ろうと茶の一杯でもすすりたかったが、まだ絶飲食期間のため茶の一滴もすすれなかった。

 歩けるようになったことで、口が渇いた時は自分の好きなタイミングで好きなだけうがいができるようになった。豆の形をした金属の受け皿(膿盆という)と、水を入れたコップをベッドサイドのスライドテーブルに常備しておき、狂ったように何度もうがいをしまくった。ひどい時には10分に一回くらいうがいをしていただろう。しかし、うがいをすればするほどむしろ余計口が渇くようになり、このままではうがい死にしそうなので、途中から我慢することにした。

 口の渇き以上に辛かったのは、強烈な寒気だった。ガタガタと震え寒気で吐き気もした。しかもこの寒気は特殊であり、足先や手や顔などの末端部はさほど冷たく感じないのに腿や胴体、肩などの中心部分がざわざわと寒かった。こうした寒気は入院前から度々起きていて、特にアブレーション後の数日がひどかった。あまりに寒いので電気毛布を最強の温度にして、さらにもう一枚毛布をかけ、靴下を履き冬用のルームウェアを着て布団にくるまっていた。結局2日目の晩も寒気と口渇感でほとんど眠れず長い夜を過ごした。

 翌日、待ちに待った食事開始である。しかし、その前に胃カメラで食道の傷の具合を確認する必要があった。胃カメラ検査はお昼になったため、結局食事が再開したのはその日の夜になった。ただ、水分は飲んでいいことになり、おいらは早速病棟に設置された自動販売機で飲み物を買いに行った。どれにしようか迷ったが、甘いものが飲みたくなりスポーツドリンクを買った。初めはちびちびと酒をすするように水分が喉に染み込む感覚に酔いしれていたが、やがてグビグビと飲んでしまい、気づくと残りわずかになっていた。喉の渇きが癒えぬくぬくと布団に包まると、久しぶりにウトウトと軽い眠りにつくことができた。

 夜の食事は予想したほど感動しなかった。とはいえ、食事が再開するとみるみる体にエネルギーが満たされていく感覚がして活気が戻ってきた。食事が始まるとすぐに、栄養剤を入れていた点滴が抜かれ、寒気も日に日に和らいでいった。最後の2日間は携帯型の心電図モニターも外れ、体に何もついていない身軽な状態になり、3食付きのホテル暮らしのような優雅な時間を過ごした。

 今回の入院は、治療がとてもスピーディかつ計画的に進みストレスフリーな入院だった。それは小児循環器科の医師が担当だったからではないかと思う。アブレーション翌日の朝にすぐテープや導尿カテーテルを外してくれて歩けるようになったり、食事開始後は点滴もすぐ外れたり、とテンポが良かった。絶飲食の2日間も喉の傷が良くなるまでと丁寧に説明してくれたため納得できた。水分摂取量の制限もなく、できるだけ患者の負担が減るように配慮してくれている気がした。そしてさらにありがたかったのが、毎日ほぼ決まった時刻に診察に来てくれることだった。そしてそのたびに丁寧に説明をしてくれて、治療の方針に疑問を持ったりすることがなかった。

 おいらの個人的経験による非常に偏見のある想像ではあるが、もしこれが成人循環器科の医師が担当だったら、こんなにスピーディで計画的に治療は進まなかったのではないかと思う。導尿カテーテルは説明なく数日入れっぱなしになったり、水分制限がかかったり、点滴も継続したりしていたかもしれない。そして診察の時刻はバラバラで、来るときは大名行列のように大勢で押し寄せ、質問を受け付けない雰囲気すら漂っている。これでは疑問や不満が溜まりストレスが増大していってしまう。

 こうした違いが生まれてしまう背景には、患者側の特徴の違いもあるだろう。成人循環器科の患者は圧倒的に高齢者が多い。そのため、なかなか治療の効果が現れなかったりして慎重にならざるを得ない面もあるだろう。それに診察で説明しても理解してもらえなかったり、会話があまり通じないことも多い。一方、子供の場合は治療効果がすぐに現れ回復も早いのだろう。また治療の説明は大抵親が聞くため、親は患者本人以上に真剣であり、ちょっとした疑問点もしつこく尋ねてくるはずだ。そうした患者や親に日々接している小児循環器科の医師は、スピーディで計画的な治療や丁寧な説明を行うことを否応無く心がけているのかもしれない。

 おいらは、入院中のストレスは少なからず治療効果や回復に支障が出ると感じている。医師不足による激務により、患者一人一人に対応できる時間が少ないのが現状なのであろう。だから無理なお願いはできないが、将来の医療のあり方として患者のストレス軽減も重要な治療方針として配慮してほしいと願っている。

二箇所から吹き出す血の池地獄:心外導管穿刺法アブレーション入院前編

アブレーション入院から退院した。日曜日から日曜日までの丸一週間の入院だった。それぞれの日に起こったことを記録のために記し、最後に感想的なものを書いておく。

 入院初日。担当医は現在の小児循環の主治医と、もう一人やはり小児循環の若い先生だった。病棟についてしばらくすると主治医の先生からおいらと妻に今回の治療に関して説明があった。アブレーションの方法は以前おいらが調べた通りで、まずカテーテルを首と脚の鼠径部から入れて、心外導管に細い針で刺し、穴が空いたら徐々に太い針に変えて穴を大きくしていく。最終的にはバルーンで穴を広げるという方法だった。穿刺する部位やアブレーションの部位を正確に把握するために、術中は経食道エコーをし続ける必要があった。一番の難関はやはり心外導管へうまく穿刺ができるかどうかで、事前のCT検査で見ると心房と導管がくっついている箇所は極めて限られており、導管の最上部にしかなかった。心房と導管が離れていると、当然ながら穿刺した時にその間に出血するリスクが高い。最悪の場合、出血した血液が2層の心膜の間にたまる心タンポナーデになってしまう。その場合、溜まった血液をとる外科的治療が必要になり、事態は大事になる。

 穿刺部位を導管上部にした場合、足の鼠径部からのカテーテルでは角度が悪く穿刺ができない。そのため、首からのカテーテルで刺す事になった。導管は硬いため思い切り勢いよく刺す必要があり、その際に他の部位を刺してしまったりするリスクもある。穿刺が無事成功すれば、その後のアブレーションはさほど難しくなく、手術時間は約6時間と想定された。長時間かつかなりの痛みを伴うことから、人工呼吸器を口に挿入して全身麻酔下で行うことになった。今回の心外導管穿刺法によるアブレーションは前例が少なく様々な合併症のリスクも高いことから、主治医は「かなり難しい治療になります」といつになく真剣な表情で説明された。

 二日目アブレーション当日。予定通り朝9時にカテーテル室に入室した。事前においらが念を押したことが功を奏し、導尿カテーテルは麻酔後に入れてくれることになった(実際は、ギリギリまで病室で入れる話になっていた)。カテーテル室に入ると、体と同じくらいの幅の狭い手術台に上り、身体中に様々なモニターを貼り付けられた。直径10cmほどの円盤状のモニターを背中と胸に2枚ずつ、赤黄緑の心電図モニター、自動計測血圧計、指にサチュレーションモニター、電気ショック用の湿布状のシールといったものである。麻酔後にはさらに導尿菅、点滴ルート、筋弛緩モニターの電極などがつけられた。横になりマスクで麻酔ガスを吸うと数十秒で効いて意識がなくなった。

 どこで目を覚ましたかはっきりとしないが、おそらく病棟のベッドに戻った時だろう。ちらっと見えた時計では夕方5時を過ぎていて、約8時間かかったようだ。目が覚めて意識が戻ってくると共に凄まじい寒気、吐き気、息苦しさに襲われ、間も無く思い切り吐血した。粘液と混じった血液だった。酸素マスクをしていたから、吐血液はマスク内にたまり溺れそうになった。吐血したのは、人工呼吸器と経食道エコーにより食道がかなり傷ついたためであり、血と粘液は4、5回ほど吐いた。やっと少し落ち着いたので妻と面会すると、間もなく新たな事態が発生した。左脚鼠蹊部の穿刺部位から血が吹き出したのだ。おいらには見えなかったが、その量はかなり大量だったらしく、血がお尻の周りに池のようにたまるほどだったようだ。医師が駆けつけて思い切り抑えて止血し、ある程度たったら一度貼ってあったテープ類を貼り直した。ところがまた出血し始め、結局止血とテープの貼り直しを2回行った。2回目は念には念を入れ親の仇のように強力なテープを何重にも貼り付けた。

 やっと落ち着いたのは7時過ぎで、もう妻は帰っただろうと思っていたら、ずっと待っていてくれた。再び面会すると涙が出そうになったが、しばらく手を握っていると気持ちが安らいでいった。翌朝まで足を固定されてほとんど身動きできない状態で過ごした。食道が傷ついているため、2日間絶飲食になった。幸運なのは、右脚は比較的すぐに曲げたりして動かして良いことになり、そのため身体の向きを少し変えることができ、背中の床擦れを防げた。また、薬を内服する時だけは水分を飲んで良く、ここぞとばかり普段より多く水分を使って飲んだ。その晩は強烈な口の渇きと息苦しさ、身体のだるさの中眠れぬ長い夜を過ごした。

 簡潔に書くつもりが長くなってしまったので、今回はここまでにしたい。次は、3日目以降の絶飲食期間とその後の回復期、感想をお伝えする。  

アブレーションであぶねえ小便

明日からカテーテルアブレーションを受けるため入院する。期間はわからないが、問題が起きなければ1週間くらいであろう。以前にも書いたように、過去に受けたアブレーションでは長時間の激痛を伴ったため、今回もそうならないかという不安で頭が一杯になる程だった。先日の術前診断で、医師から全身麻酔下でやることを告げられ、心の中でガッツポーズした。

 とはいえこれで一安心するのは早計で、もう一つ大きな関門が残っている。それは、導尿カテーテルを入れることである。導尿カテーテルは男性の場合、とてつもない痛みを伴う。まず入れる時。これはおそらく麻酔で眠った後にやってくれるだろうから大丈夫だろう。ちなみに、麻酔前に入れたことも何度かあるが、そのあとはうぎぃいいいと呻きながら全身が震えるほど痛い。そして抜くとき。こちらは麻酔が覚めて意識がある中で抜くことになるだろう。ただ、おいらの経験では、入れるときに比べると一瞬で終わる上、痛みも5分の1くらいだ。まあだからそれほど恐れてはいない。

 最も心配なのは、導尿カテーテルを入れた際に尿道が傷ついた場合だ。そのときはカテーテルが外れた後尿をだすたびに傷口に染みて、まるで熱した火箸を尿道に突き刺しているかのようなおぞましい痛みが走る。その時もまた痛みで全身が震えてしまい、そのたびに震えて尿が飛び散るのを必死に抑えなくてはいけなくなる。痛みと震えと呻き声を必死に耐えながら尿をする姿は、自分のことながらうんざりするほど情けなくなり、なんでおいらは尿をするだけで3重の苦を耐えなければならないのかと、この時ばかりは自分の運命を呪ってしまう。痛みは傷が回復するまでおおよそまる1〜2日かかる。

 ただし、この痛みは尿道が傷ついていなければ起らない。傷がついているかどうかは、管を抜いた後初めて尿をした時にわかる。それは最も緊張する瞬間である。バンジージャンブを飛ぶ前のように、中身の見えない箱に手を突っ込むかように、恐怖で何度もためらい引き返してしまう。そしていざ覚悟を決めた時には、呼吸を整え歯を食いしばり目を閉じて、ゆっくりと力を抜いていく。もしこの時トイレではなくベッド上で尿器を使って出す場合には、細心の注意を払わなくてはいけない。激痛で身悶して尿器から外れれば、ベッドがビシャビシャになってしまうからだ。

 幸いにも尿道が傷ついておらず痛みがなかったならば、底知れぬ安堵感で深く息を吸い込むことであろう。これでアブレーションの戦いは終わった。おいらはアブレーションで痛みや苦痛をほとんど感じずに乗り切ったのだ*1。その勝利の余韻をより深く味わうために、自販機でお好みのジュースを買いちびちびと飲むのだ。

 今回はアブレーション後の尿にまつわる情けない不安を長々と書いてしまった。しかし、見方を変えれば、尿一つにも一生忘れられないドラマがあり、そこには恐怖、不安、痛み、安堵、喜びが詰まっている。だからもしあなたが人生に退屈していたり、何か変化を求めているのならば、導尿カテーテルをやってみるのも良いだろう。

 

*1 実際には、穿刺部の止血のために腹部や腿にがっつり貼っているテープを剥がすのも相当痛い。丁寧な看護師さんや医師が剥がしてくれるときには、テープリムーバーを塗ってゆっくり剥がしてくれるが、雑な人だと容赦なくベリベリ剥がす。その時には皮膚が一緒に剥がれたかと思うほど痛い。

男はつらいよーポテトサラダ記念日

7月に入り、気持ちが落ち込んでいる。以前のように日々の暮らしの中に喜びをあまり感じることができず、毎日時間が過ぎるのを待つように過ごしてしまっている。もしかしたら鬱なのだろうかと、ネット上のうつ診断チェックを片っ端からやってみると、予想通り全部鬱の兆候ありだった。中には重度判定になったものもあった。そんな気分だから、自分自身にも他人にも優しい気持ちになれず、ついイライラしてしまう。今まではそんなこと思ったこともなかったのに、他人の幸せをうらやむになった。これはまずい、ということで自分が悩んでいる問題点を整理してみることにした。

 

仕事:やめたいけど、やめたらもっと収入が悪くかつ体にきつい仕事しかない。

研究職の夢:ほぼ完全に可能性がなくなった。

家庭:各個人が個別に行動するようになり、毎週末孤独。

外食:食べられるものがほとんどない。特に最近は、下手に外で食べると著しく体を壊す。不整脈もでる。

将来の夢:なにもない。できれば新天地で暮らしてみたいが、仕事、病院、家族の生活、どれも一から築く体力がない。

病気:年々悪くなるばかり。毎晩苦しくて夜中に起きてそのあと寝られない。

お金:4月から給料もかなり下がり、毎月の生活費も若干赤字。

趣味の釣り:南の島は意外と全然釣れない。釣れても美味しくない熱帯魚。しかも夏場激暑。最近は体力も厳しい。

環境:温泉、涼しい森や川、高原がない。海は素晴らしいが一人では危なくて泳げない。

 

 どれも些細でなんとでもなりそうなことであり、なにより他力本願である。何か楽しめることや喜べることを見つけて、自分自身で人生を充実させるしかないのだ。それはそうなのだが一方で、辛いことや制限が多すぎる中で、無理やり楽しみを見つけて生きることに虚しさも感じてしまう。本来は、そんな無理に楽しもうとしなくても、自然と喜びや幸せを感じられるものじゃないのだろうか。

 そんなネガティブ思考に取り憑かれたときに、ネットでポテサラ論争なるものが起きた。これはツイッターでの以下のツイートから端を発したものである。

”「母親ならポテトサラダくらい作ったらどうだ」の声に驚いて振り向くと、惣菜コーナーで高齢の男性と、幼児連れの女性。男性はサッサと立ち去ったけど、女性は惣菜パックを手にして俯いたまま。私は咄嗟に娘を連れて、女性の目の前でポテトサラダ買った。2パックも買った。大丈夫ですよと念じながら”   

 この男性の言動に対し、惣菜を買ってはいけないのか、ポテサラは手間がかかる料理だ、と避難が集中したのだ。おいらも最初、こうした男性の上から目線の失礼な態度は嫌だなと思ったのだが、一方でこの男性は今のおいらと同じような心境だったのではないだろうかと思い寂しくもなった。

 この男性がそうだったかはわからないが、高齢の男性の中には、仕事を退職し、日々やることがなく退屈な日々を過ごしている方は少なからずいるだろう。ショッピングモールで大型テレビの前にパイプ椅子が並べられたスペースがあると、多数のおじさんたちが座っているのをよく見かける。家族や友人など一緒に遊ぶ相手もおらず、誰かに何か頼まれたり必要とされることもない。ただただ毎日が空虚に過ぎていく。そうした状況を自分でもなんとか変えたいと思いつつ、でもどうしていいかわからず、それが焦りとなって苛立ってしまう。そんな感情の中で、子育てや日々の生活で忙しくも幸せそうな女性が羨ましくそしてどこか腹立たしく感じたのかもしれない。もしこの男性が日々の生活が充実して幸せに満ちていたならば、あの様な言動を取っていただろうか、とおいらは思ったのだった。

 おいらもネガティブな感情にいつまでも振り回されていてはいけない。このままでは、ポテサラおじさんのようにいつか誰かを傷つけてしまうだろう。もうすでに傷つけているかもしれない。だから、上であげた問題を一つずつ解決していこう。そんなわけで今日も一人ショッピングモールに行き、来週の入院に備えて超気持ち良さそうな寝間着を買い、惣菜の寿司を満喫した。

 

 余談だが、死ぬほど暇なおいらはポテサラは全く手間に感じず、月に一度ほど自分好みのポテサラを大量に作っている。作るたびにより美味しくなるよう改良を重ねるので、むしろ手間がかかる方が楽しいぐらいである。惣菜のポテサラは塩分、脂肪分が多いため、おいらはマヨネーズ控えめでその分プレーンヨーグルトを加えて、滑らかさとさっぱりとした味わいに仕上げている。ポテサラおじさんも、手間がかかるのを実感しろ、というわけでなく、ポテサラ作りは楽しいので作ってみたらいいのになと思う。